井出上ノ原遺跡調査日誌

小林謙一科研による福島町楢葉町井出上ノ原遺跡の調査記録です。

29日目、現場作業終了

2006-08-31 21:39:36 | Weblog
発掘作業は終了しました。甕棺墓はすべて本日ほりあげ。私も昨日帰ったW大生にかわり3号墓をほりあげました。1・2号もK応コンビでワンツーフィニッシュです。住居は、炉の現状での平面図を取りました。私も仕事したって感じです。さらに、M本君S田さんコンビで住居セクションから土壌サンプリングをして終了です。今日は、作業員さんにもお願いしてあり、現場の養生も始めました。来年また来て掘れますように、住居には土嚢を入れてその上から山砂でいったん埋め戻しをする予定です。写真でもサンプリングしているベルトの反対側はすでに土嚢を積んでます。さくさくと撤収も進んでおり、予定よりやや早く帰れそうです。

28日目 大詰めです

2006-08-30 21:34:06 | Weblog
だいぶ終わりが見えてきました。でも今日も雨に祟られました。県よりYさんに指導にきて頂き、来年のことも含め検討しました。
作業の方は、雨の晴れ間を待って甕棺墓の作業の続き。おおよそめどが立ってきました。午前中にK尾家もお帰りになり、夜にはW大精鋭もかえって寂しい限り。
K尾さん、来年もきてください。できればうちのF嬢が来るときに。D地君に面倒見てもらいたい。
人数もぐんと減ってきたところですが、頼もしい援軍もきました。現場へ行く途中、RKのS田氏が歩いている。
「S田さんみたいな人が居ます」といわれたが、またA嬢のいつものボ○だろうとそのまま行こうとしたら、どうみてもあの大きな巨人の人だ。なんと、いきなり来て、駅から歩いて向かっていたのでした。どうもありがとう。
写真は、複式炉の直上からの写真です。プログの写真だとよくわからないというK尾先生のリクエストで。
長さ3.8mということで、国内最大ではないかという声も届きました。調べます。

もう27日目

2006-08-29 22:31:36 | Weblog
今日はいろいろ大変でした。2時から3時まで、ものすごい雷雨でした。竪穴内に20cm、深掘りは40cmの水が貯まりました(水はけはいいので、すぐにおおよそ引きました。)。
午前中は、天神原遺跡を掘られたM目先生がいらっしゃっいまして、ご指導頂きました。先生の説明によれば、天神原よりもわずかに古い要素があるということです。午後には、福島大学の大学院生2名が見学されました。さらに雷雨とともにK尾家がご来光。k尾kq氏とご次男D地君、舎弟のT川7K氏です。すごい雨でした。
写真は、遠いですが、早速、住居の確認のサブトレをほるKO家と、3住の壁を探すT川氏です。確認された住居は5号住としました。
我々は、甕棺墓の調査と、3住セクションと、調査区の他の確認遺構の図化作業です。

26日目

2006-08-28 19:19:06 | Weblog
今日は昨日の現説での慰労も兼ねて、午前中は小高町へ、夕方は富岡町へ調査見学に行きました。小高では、浦尻貝塚の中期初頭の土器もたくさんみれてよかったです。
午後1~3時は、甕棺を中心に少し作業しました。茨城方面より弥生を見に、有識者数名がご来跡いただきました。また、3号住居の写真撮影等をしました。写真は、3号住の複式炉及びセクションです。

25日目、現地説明会

2006-08-28 06:57:41 | Weblog
土曜の会議も終えて、日曜の朝、ふたたび楢葉に向かいました。つくと現説の準備もほぼ終えており、長さ3.8mのすばらしい複式炉も検出されておりました。栃木からG田さんもおいでになっており、現説の受付を務めてくださっております。O部さん、S谷くんなどの精鋭もきてくれており、準備してくれていました。
午後より現説を行い、60人ほどの方がきて、NHK福島版ニュースもきて、地元にとっても宣伝となり、現説も成功しました。ありがとうございました。
現説には下総のO村先生、K藤君、歴博からM田さん、学生のI川君など、多数の来客がありました。
しおかぜ荘で温泉に入り、6時45分の地域ニュースをみながら食事をしました。なお、現説後にわれわれほかH島さん、U見さんらと幹部会議にて、「もう今年は住居は掘らないでいいや、ベルトも炉も床も壁もあとは来年ね。」と、すばらしい合意を得ました。S子様、ごめん、来年もきてください。