震災後の散歩は自宅前の道路用地の空き地。
ここは津波が来なかった場所でヘドロ無し、
この分だと復旧作業にとられ道路工事も当分なさそう、
臭い物の上でひっくり返る癖があり、
ヘドロで汚れた道でのハナの散歩はNG。
当分はこの場所が散歩道、元気はつらつのハナ。
竹さん見てるかな?今日は魚町の様子です。
ここは昔アンリツが有った場所かな、よく仕事の邪魔をしに行ったな。
こちらは岩手銀行気仙沼店、
カネシメイチの当時両全商会があった場所です。
定期的に帰港した局長さん、船頭さんと飲み会をした、
当時のたたずまいの福よし、焼き魚が旨かった。
最近はマスコミでは日本一とか?
魚を持ち込んだりして親方に焼いてけろって、
困った客だったかなアハハ
気仙沼湾奥の魚町はこんな状況です、
海岸通りの魚問屋は一階はぺっちゃんこに、
津波でひっくり返されヘドロと潮を被った睡蓮、
水道が出てから植え直しはしたけど育つかどうか?は睡蓮の頑張りしだい。
今日は冬の間は室内で飼育のみゆきメダカを睡蓮鉢に投入、
睡蓮の土で濁った中、新天地を探検、元気に楽しそう。
旅立ちの時期を迎えたジョウビタキ、庭にひょっこり現れたので
気づけばこのあたりは津波の後はスズメの姿がとても少ない、
安全な場所に行ったのか餌探しが大変なのか?
このジョウビタキは自分の縄張りを守って頑張ってるな。
仕事を終えてより道、津波後始めて来たの登米沢海岸。
車は途中まで、電柱は倒れ道は寸断、
連れてきたリリーも歩ける状況ではなく車で留守番。
どこから流れてきたのか?無かったはずのテトラポットが.....
どこをどう流れたのか?打ち上げられ完全に大破した車の残骸。
運転中に呑み込まれてなければいいのだが!
こちらは津波前、ごろ石の海岸。
ハナを連れて大川の対岸を散歩、
通るたび小屋から飛び出してくるワンちゃん。
リリーも一緒だと、たいがいここは知らんぷりで通過するハナ、
珍しく積極的にご挨拶、チビだと思ってなめんなよ! って言ってるみたい?
ただ遊びたいだけで出て来たのにハナの態度に後ずさり、
常に近づくものは追っ払おうとするハナはちびっ子ガードドックなり。
今日はうれしい事がありました。
ブログ仲間のお米さんが休んでいたブログを昨日から再開したことです。
ブルテリアのメメちゃん、トラちゃんの微笑ましくユーモアたっぷりです。
タイトルは「ブス・テりア」です、遊びに行ってちょ。。。
ここは何でしょう?
あり得ないようですが気仙沼線の線路です、
これでも一番歩きやすい場所?かも知れません。
幸町と内ノ脇を分ける線路から見た南気仙沼駅方向です。
瓦礫の片付けは進まずで、ここを越えて行きます。
格好だけ残った、これが南気仙沼駅の姿です。
こちらは鉄くずの解体業者の資材置き場のような駅のプラットホームだす。
これだけ見ると一体何がおきたのか?です。
呼び出しの電話でお仕事モード、津波で所々舗装はめくれ、片側通行もあり雨でドロドロの道を30分かけ本吉町まで。機械が動かないとのこと、行ってみたら停電中だっただけ、周りには電気が通ったので大丈夫と思ったらしい、線路によってまだの所もあると説明して一件落着。ちょっとお伊勢浜により道をし帰ることに。津波で行く道も寸断、仕事帰りに散歩した浜は以前の面影はどこにも無く。防風林の松も砂も無く、壊れた防波堤だけが波に洗われ姿は!そうだ昔見た映画、猿の惑星のイメージだと思ってしまった。こちらは以前のお伊勢浜 2010年09月07日の姿。
悪臭が、う~ん臭い!
家の前の大川沿い、リリーとハナの散歩コースはゴミの山。
ごろり転がるモーカ鮫(ネズミザメ)、
当分ここは散歩は出来そうもない。
今日は瓦礫で道なき道を12年前までお世話になった場所へ、
知人も行方不明になったと思う場所を探しに、
途中、偶然避難先から自宅を探しに来ていた、多分ないべーと言いながら。
当時のお向かいのお爺さんに会い一緒に行くことに、
水の引かないヘドロで滑る南気仙沼駅を越え一景島公園まで。
距離は近いのにルートを探しながら、
やっとのことで辿り着いた場所。
ここにあったお爺さんの家はどこへ行ったのか?
自分の宅地を見て納得の様子。
跡地にはどこかの家が流れ着いていた、
どこも木造住宅は同じような状態。
これらの瓦礫を片付けるのはいったい何時になることやら。
こちらはお爺さんのお向、
大島水産、前にうちの事務所が有った場所。
この水産加工場も無惨な姿に、引っ越していて良かった。
お爺さんと別れ、川口町の小梨商店へ、
看板だけは残った、おーい社長、矢萩さん!
いったいどこへ行ってしまったのか?
水浸しの瓦礫の中から誰かの遺体を搬出中のところ、
足場も悪く、この回りの瓦礫に何体埋もれていることやら。
家の前の大川沿い、リリーとハナの散歩コースはゴミの山。
ごろり転がるモーカ鮫(ネズミザメ)、
当分ここは散歩は出来そうもない。
今日は瓦礫で道なき道を12年前までお世話になった場所へ、
知人も行方不明になったと思う場所を探しに、
途中、偶然避難先から自宅を探しに来ていた、多分ないべーと言いながら。
当時のお向かいのお爺さんに会い一緒に行くことに、
水の引かないヘドロで滑る南気仙沼駅を越え一景島公園まで。
距離は近いのにルートを探しながら、
やっとのことで辿り着いた場所。
ここにあったお爺さんの家はどこへ行ったのか?
自分の宅地を見て納得の様子。
跡地にはどこかの家が流れ着いていた、
どこも木造住宅は同じような状態。
これらの瓦礫を片付けるのはいったい何時になることやら。
こちらはお爺さんのお向、
大島水産、前にうちの事務所が有った場所。
この水産加工場も無惨な姿に、引っ越していて良かった。
お爺さんと別れ、川口町の小梨商店へ、
看板だけは残った、おーい社長、矢萩さん!
いったいどこへ行ってしまったのか?
水浸しの瓦礫の中から誰かの遺体を搬出中のところ、
足場も悪く、この回りの瓦礫に何体埋もれていることやら。