お久し振りです。
3月11日の東日本大震災―。
テレビ画面に映る映像にただただ呆然としながら、
震災の影響で混乱した仕事に追われる日々から1ヶ月。
福島の親戚は家はあるものの原発の避難区域内のため、
避難所を転々とした後、転居の決断をしました。
あれから脳裏をよぎるのは、私には何ができるのか―。
きっとたくさんの人が同じように考えていると思います。
ボランティアの派遣過剰が敬遠される中、縁あって、
NPO法人暮らしと耐震協議会理事長の木谷正道さん
率いる「心の歌バンド」活動に、5/3~4の2日間
単身で参加してきました。
宮城県南三陸町・歌津中学校の避難所を拠点に、
歌と囲碁のボランティアを行いました。
木谷さんは、老人ホーム・施設などで歌を届け心のケアを
行ったり、耐震補強の推進活動など幅広く活動されている方。
現地までの道中で目に飛び込んできたのは、信じ難い光景。
建物は根こそぎ流れ、瓦礫の間をすり抜けてかろうじて残る道路。
残った鉄骨には、無数の車や船道具がぶら下がり、
海からは程遠い山間に壊れた船が突き刺さっているよう―。
既に、車の中では言葉がありませんでした。
現地について15分後には「心の歌バンド」コンサートが始まり、
「2、3曲歌ってみて」と、お話しをいただいたものの、
動揺がおさまらず、どうしたらよいものか、何を歌ったらよいものか…
しどろもどろの状態…。
ステージは、避難所である中学校の体育館。
そこは、現地のみなさんの生活拠点となっている場所。
目に映る光景に圧倒されるばかり。
私は何を歌えばいいのだろう、何を…とそればかりが渦巻き、
smile、おはよう、君の魔法に気づいたときの3曲を歌いました。
小さいけれど、確かに拍手をいただきました。
同時に自分の無力さに愕然としました。。。
歌唱力の無さは重々自覚しています…。
が、それだけではない何か、何かができるはずだと必死でした。
みんなの心に近づける歌を歌いたいと思いました。
続いて、近くのケアセンターで2回目のステージ。
ここでは、出発前にコピーした「上を向いて歩こう」に挑戦。
無謀にもマラカスと歌のみ!!
続いてナットキングコールの「LOVE」をギターと共に。
いずれも必死でした。
さっきより、伝わったような感覚。
これかもしれない!
翌日、
時間を調整していただき、別のケアセンターで3回目のステージ。
これが最後のチャンス。
全力で臨みました。
曲目は同じく「上を向いて歩こう」と「LOVE」。
移動中の車の中で歌詞を日本詞に直し、
急遽、心の歌バンドのメンバーに手話で参加してもらいました。
とにかく、現地の皆さんと気持ちをひとつにしたい!と
精一杯挑んだことで、心が通じた瞬間があり、
音楽をやっていてよかったと改めて思いました。
津波の破壊力は本当に想像以上のものでした。
しかしながら、前向き生きようとする現地の皆さんはとても逞しく、
人間味があふれていました。
私にできたことは本当に小さいことです。
現地を訪れる機会を得られたことに感謝し、
ここで見たこと聞いたことを微力ながら伝えていこうと思います。
きっと、私たちにはできることがたくさんあるはずです。