庚申庵は、寛政12年(1800年)栗田樗堂が52歳の時、松山城西方の味酒郷に造った草庵で、ここでもっぱら俳諧の道に精進した。
もと青面金剛の小祠があり、古老が古庚申と呼んでいたこの地に、庚申の年に建てたので、庚申庵と名付けられたという。
樗堂はその後、安芸国御手洗島に移り、文化11年(1814年)に66歳で没した。
現在、庚申庵は公有化され、平成12年(2000年)から3ヶ年をかけて復元、往時の姿をよみがえらせている。
建物の南側には風雅な庭園があり、例年4月末に咲くノダフジの花は見事である。
(松山市HPより抜粋)
庚申庵史跡庭園(松山市味酒町2丁目)2018.4.23 撮影
もと青面金剛の小祠があり、古老が古庚申と呼んでいたこの地に、庚申の年に建てたので、庚申庵と名付けられたという。
樗堂はその後、安芸国御手洗島に移り、文化11年(1814年)に66歳で没した。
現在、庚申庵は公有化され、平成12年(2000年)から3ヶ年をかけて復元、往時の姿をよみがえらせている。
建物の南側には風雅な庭園があり、例年4月末に咲くノダフジの花は見事である。
(松山市HPより抜粋)
庚申庵史跡庭園(松山市味酒町2丁目)2018.4.23 撮影
ありがとうございました。
庚申庵の藤もきれいですね!
お怪我も治られたようでお元気になられていて良かったです。
また何処かでお会いしましょう。