織田信長の弟、信包が1580年に築城。1608年、藤堂高虎が入城、以後藤堂氏の居城となった。
高虎は、城と城下町の改修を行い、津の町の本を造った。
高虎は、築城の名人であり、今治城や宇和島城等築城している。
9人の主君に仕えた苦労人の高虎は、最後に仕えた徳川家康を崇拝し、必死に奉公に励んだ。
そのため、用心深い家康の信用を得たと言われる。高虎にとって、家康は理想の主君だろう。
高虎は、遺言に殉死を禁止し、家臣に徳川に忠誠を尽くすように!
遺言を残したといわれる。それゆえに、藤堂家は、幕府の大名取り潰しにあわずに明治までつづきました。
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