ぴっぴdeダイアリー

日々の感想など個人ブログです。

虐待事件と関連付けて

2019-02-10 09:23:27 | 日記
虐待事件のニュースが続く。マスコミが情報を繰り返し流すことにより、行政機関の虐待への対応が厳しくなっていくだろう。
虐待は家庭内に一旦入ってしまうと躾の問題、家庭教育の問題と片付けられやすい。その隙間をぬって今回の問題が起きている。教育委員会、児相のあまい判断も問題だろう。
この最中、今年の予算発表が続々と行われている。学童保育については2018年12月時点で利用者登録は123万4366人。2018年5月1日時点の待機児童数は、前年同期より109人増の1万7279人がいるそうで、国は2019年度から2021年度までに、約25万人分の受け皿を整備すると目標を掲げている。現在のところ周囲では全く追い付いてはいない。
国の対策は遅い。小学生の放課後対策は保育園を増やせば必要になるのは明らかであったはずなのに。
大ごとになってからの対策だ。
安倍総理は虐待再発防止で早急な対策を指示したという。これまで虐待は何度も繰り返されてきた。学校で担任の目が行き届かない場合もあるだろう。教師も多忙すぎると言われる中で子どものSOSや兆候を見つけるには、学校だけなく、地域の目もあるかもしれないが、放課後の学童保育でも見つけることが可能なはずである。
待機が増えれば、子どもをかぎっ子にさせる親も増える。そうなると子どもの姿が見えなくなってしまう。
これまでの小さな不具合が今回のようにやがて大きな不始末にならないよう親だけに留めず多くのおとなが知恵を絞って考えることがいま必要だと思う。

女性の生きやすさについて考えてみた 6化粧

2017-04-02 00:19:58 | 日記
20歳の頃あたりからわたしは化粧を始めた。じぶんの顔が生まれつき可愛くない、ブスだって思っていたから化粧で少しは変わるかもしれないなんて微かに期待しつつ、化粧をすることで何か自信がついたかのように思っていたのだと思う。

先日、新聞に化粧のことがテーマで書かれていた記事を見つけた。
確か、投稿した女性は化粧するのは好きではないが、しなければならないのだろうかと問いかけのような内容だったと思う。(うろ覚え) 
そこに、いろんな人たちが様々な意見を述べていた。女性の立場からやはり私と同じようなことを述べていた人もいたし、しなくても気にしないという人もいた。ある50代の男性が、じぶんの妻について、結婚して化粧を落とした素顔を見て驚愕してしまったというようなことを述べていた記事があった。その後、何が書いてあったのか覚えていないが、自分の妻の顔に驚愕したと言う言葉があまりになぜか鮮烈だったのだ。

化粧は女性の特権だと思っていた。
けれど、学生時代後半、男性の化粧が流行し始め、ちょっと年下の男子学生たちはおしゃれで常に身だしなみを気にして櫛を携帯していた。じぶんの同級生ときたら工学部の男子なんて、どてらに草履、くしゃくしゃの髪。研究室には泊まり込みが多くて、まるでおしゃれ心がないきったないにいちゃんたちばかりだったのに。ほんの少しの年齢差でジェネレーションギャップが生じたできごとだった。
今は自由だと思う。化粧どころか、スカートはいてる男性を東京都内の電車で見かけるようになった。女性だから大人になったら身だしなみとして化粧をするのは当たり前とも言えない、選択ができる社会があるのだなあと言う気がする。

ところで、なぜ、わたしが化粧にこだわっているのか。思えば、今回は私事で大いに驚き、笑い、ちょっぴり傷ついたできごとがあったからだ。
昨年、数十年ぶりに、学生時代の先輩たちに会う機会となったテニス合宿で、一晩泊まった夜の宴会で昔話に盛り上がっていた。
で、私の話に移って、
先輩たち:おまえ、きれいになったなあ。
真顔でぽかん?!のわたし。
わたしのこころの中の声:え、学生時代の私の方がいまに比べて当然若かったし、きれいだったはずですけどお・・・。
先輩たち:学資時代、おまえのこと、みんなでお面って呼んでたもんなあ。
わたし:へ??
化粧して、いけてるわたしと思い込んでいたのはじぶんだけであって、厚化粧のわたしを先輩たちは陰でお面と呼んでいたのだということを今になって理解した。
現在の私はすっかり年を経て、化粧に執着せず自然にできるだけ素顔に近づいた化粧を心掛けている。すっかりくたびれた顔となったわたしの今の方がきれいだなんて、なんて皮肉なことなんだろう。
しかし、あの頃のわたしっておめでたい人だったのだろうけれど、化粧している方が生きやすかったんだって思う。




女性の生きやすさについて考えてみた 5家事育児は女性の役割か?

2017-03-27 21:56:53 | 日記
「女だから料理くらい作りなさい」「女だから気配りしなさい」などと実母に言われた覚えはない。だけど、母や祖母からは「ひとりでも身を立てていける仕事につきなさい」と呪文のように言われて育った。
だから、子ども心に頭に浮かぶ少ない職業の中で私は薬剤師を目指そうと思った時期があった。教師という職業は身近にお手本がいたが、他に思い浮かんだのがその職業だったから、「薬剤師を目指す」と母や祖母に言うと満足そうな顔をしていた記憶がある。なぜ、祖母や母がそんなことを望むのかと言えば、母子家庭だったからだ。祖父が若くして病死し、再婚をしたけれど、またもや亡くなってしまい、祖母は娘3人を和裁で生計を立て育ててきた。裕福な家庭で育ったお嬢さんが一転して苦労を重ねたらしい。だから、私には自立した仕事を持つことを強く願っていたようだ。
結局、薬剤師にはならなかったけれど、その影響で、成長してからもずっと独身だったらとか、結婚しても離婚したら自分はひとりで生きていけるのかとまだありもしない不安に心が潰されそうな思いをしていた気がする。家庭環境って微妙に影響されるものだ。

母や祖母の時代、料理や洗濯など家事・育児は女がやって当たり前と言われて育ってきた。今でもそうだが、そう言って育てられた家庭では、男性は単純にあまやかされて何もしようとはせず(というかできないかもしれない)、母親や妻にべったり依存してやっかいである。最近は、男性にも協力的な人が増えたけれど、まだまだそんな人ばかりではないのだ。

昔は2世代、3世代家族が同居しており、家事も育児も家族の誰かが補い合ってきた。だから男性が家事や育児をしなくても済まされてきたのだが、現代は、核家族化の時代だ。
子どもが小さい頃は夫も妻も多分に若くて働き盛りでもある。仕事がこなせる分、残業や付き合いも多い。子どもが産まれれば、妻は子育ての比重が高くなる。つまり、下手すると家事も育児も仕事も妻に覆いかぶさってくるのだ。今や全て妻がこなさなければならない、ワンオペ(ワンオペレーション)育児と言われている、状況に陥ってしまうことも。
第1子の子育て中なら尚更慣れない分、負担は重い。破たん寸前にまで追い込まれる女性もいるそうだ。最近、朝日新聞でも取り上げられていて、いかにそんな女性が多いことに驚いてしまった。

「女性活躍推進」。女性の地位や環境の向上と思いきや女性をこれまで以上に役割を与え、使い倒そうという言葉にさえ思えてくる。いやいやそんなふうに意図して使っているわけではないと考えるが、まだまだ社会的環境は子育てや家事は女性に傾いている。プレミアムフライデーなるものが出てきたが、早く仕事を終わらせて街に繰り出してお金を使ってくれと言わず、それなら妻帯者は早く帰宅して家事育児半減してあげてくださいと言いたい。でもなあ、「早く帰れるなら、妻の家事育児の邪魔にならないように飲みにいく」って言ってる仕事仲間の男性陣たち、よくないよ。


女性の生きやすさについて考えてみた 4.女性・生活

2017-02-28 18:35:19 | 日記
先日、高速道路のサービスエリアでトイレに行った時のこと。夜だったので、あれ?なんか違う、え、間違えて私、入った?!と思ったのだ。なんと、女性トイレにある子ども用男児小便器でおじいさん風(薄暗くて中年なのか高齢なのかわからない)の男性が用を足していたのだ。

え!もう、痴漢? ボケてる?
いやあ、もう、目を疑いながら、足早に逃げ出してきた。

それで、夫に「いや、気持ち悪い。男の人が女性トイレにいた」なんて言ったら、
「え、おばちゃんとか男性トイレにいるときあるじゃない」
ちがうってば、おばちゃんだってひとりでは行かない。おじさんはおかしいけれど、おばちゃんの行動は集団だからできるんだと思った。
昼間のサービスエリアで見かけた光景。バスでやってきて、トイレ休憩。止まっている時間が少ないからもったいないのか、女性トイレが長蛇の列になると、いる!いる!
「男性トイレ、空いてるやん!あっちへ行こう」(なぜか、関西弁にする私、偏見ですか、ごめんなさい)と誘っているおばちゃんの声。
おじさんたちはいくらなんでも女性トイレに集団だって押しかけない。おばちゃんに怖いものなしなのだ。

そういえば、大阪に行った時、電車の中で一応4人掛けなんだけど、荷物置いたり、ゆったりめに座っている人たちがいた。隙間が少しはあいている。そこへすまなさそうにおばちゃんがやってきて「ちょっとしか空いてへんけど、ごめんやで、座らせてもらえますか」とちんまり座る。横の人たちも、しゃあないわなあと言う感じで詰めてあげる。
大阪だからと言われればそれまでだが、こういうのって悪くはないなと思うのだ。嫌味っぽくもなくて、言われた方も慣れている。若い人とか、他の地域の人なら引いてしまうかもしれないけど、生き延びる術は女性の方が長けているに違いない。

関西のおばちゃんって、ヒョウ柄の服着て、パンチパーマあてて、どぎつい化粧して現れたCMがあったためか、怖い、厚かましいなんてイメージあるようだけど、おばちゃんに限らず関西人は人情味があり、お節介っぽい。道聞いても、ただ教えてくれるんではなくて連れて行ってくれることもしばしば。私の理想は、大阪のおばちゃんになるってこと。(もうすでになっていなければならない年なのだった)

飛躍し過ぎかもしれないが、女性はここぞと言うとき腹をくくる。子どもが不始末したときや逆にされたときに勢い駆け込むのは母親だし。熟年離婚、後期人生をつまらなく過ごすくらいならえいやっと割り切るのも女性かな。もっともっと飛躍して、実習で解剖死体見学に行った時もそれ見て倒れたのは、同じ時に見学しに来てた消防団のおじさんだったし。

人生、女性が長生きするのは、大らかな気持ちで生きているからかもしれない。家庭でも母は太陽だなんて言われるくらいだから。雨だったりしたら台風並みよ。きっと。ちょっとくだらなかった話。

女性の生きやすさについて考えてみた 3.女性・妊娠

2017-02-24 00:58:37 | 日記

女性は初潮が始まり妊娠することが可能になるが期限がある。妊娠率が高いピークは20代で、年齢と共に下降していき、だいたい40代前半までで急速に落ちていく。
大学を出るのが22歳。その後、就職をして仕事に慣れるまで無心の働いて、なのかほっとして旅行だの趣味だの謳歌していると・・・気が付けば30代が目前、なんてことになりかねない。妊娠率が高い時代はあっと言う間に下り坂に向かう。

以前、不妊治療専門のドクターを講師に「私たちらしい妊活&子育てライフを考える」という講座を行った。夫婦参加が多く、多数は一人目の子どもができるまで不妊外来に通った経験があると言う。ドクターは講座の中で、妊娠のメカニズムを語り、不妊についての原因と考えられることなども話してくれた。また、妊娠5、6カ月の母親のおなかの中にいる女性の胎児には一生分の卵子700万個がすでにできていて、出生したときに、既に200万個に減っているのだと言う。そして年齢を経るうちにだいたい35歳あたりまでで数万個に減少するのだそうだ。
一方、男性の場合、精子は常に精巣で作られるので年齢と共に老化はあると言われるものの女性のように制限はない。つまり、女性には妊娠の制限が課せられているが、男性にはないということになる。
こんな話を聞いたせいなのかは不明だが、講座終了後、ひとりで参加していた女性が講座の感想を聞くアンケートの中で、なんとも女性が不憫に思えて不愉快だと書いていた。
女性を産む機械と捉えてしまったらそれはなんとも不憫で不愉快だ。
例え女性がいつまでも妊娠できたとしても、年齢を経れば身体が追いついていかない。だから、男性と単純に比較できることではない。
日本の少子化が女性を産めよ増やせよという気持ちに追い込んでいると否定はできない。しかし、女性は国の思うがままに子どもを産むわけではなく、自分の家族の幸福を考えて自分の意志で子どもを産んでいるはずだ。

さて、視点を変えて女性のキャリアを考えてみた。
望まない妊娠に至らない限り、子どもができることをマイナスと思う女性はほとんどいないだろう。
1か月ほど前の研修で出会った女性は、これまで仕事にやりがいを持ちキャリアを積んできたが妊娠出産育児の一連を経ていくことで仕事を中断せざるを得ず辛かったと言う。
彼女は「一人目の妊娠がわかったとき、妊娠したのだから嬉しいと思わなければならないはずなのに、仕事が思うようにできなくなる方が浮かんだ。悔しくてトイレで思いっきり泣いた」と。また、出産後、「育休明けで保育園に入れたかったのに待機児童が多くて結局、入園できず、保育園待ち。同じ職場にいる夫とは同期だったのにどんどん先を越されていき、取り残された感が強かった」とも。
近年、子どもが産まれても継続して働き続ける女性が増えているため、子どもの保育の場所が足りず思うようにいかない部分もある。都会では、待機児童が半端なく多いので、育休後の1歳児の保活に苦労する。保育園に入園できるかできないかで仕事復帰がかかるわけだから、ママの心のうちはかなり深刻だ。ここの部分は、父親である男性が保活に苦しむなんて話はほぼ聞かない。保活は女性の問題と捉えられるだろう。
夫婦の子どもであるから同等であってよいはずなのに、子どもを産み育てる役割は女性になる。同じ立場にいたはずなのにキャリアではどんどん離されてしまった感に苛まれたのだろう。

妊娠出産育児と仕事。単語を並べてみると相反するものに見えるが果たしてそうなのか。すべて同時に手中に収められることは不可能だが、それぞれの経験はどちらにも生きるように思える。女性自身の捉え方次第かなとここでは強く感じたのだった。