運命について考える事がある。
もし、私の父母が出会ってなければば私は存在しない。
父と母も、祖父母のであいがなければ存在しない
それは、遥かなる歴史の果てに導き出されたもの
もし、江戸時代のご先祖がクシャミ一つタイミングがずれていたら私は存在していない。
私の子供達も存在していない。
数奇な運命、偶然がかさなり導き出された命。
頭から離れない事がある。
それは、私が小学生5年生の春休み。
もうすぐ6年生を迎える直前の出来事。
友達が交通事故で亡くなった。
とても仲の良い友達だった。
本当に優しくて、素敵な友達でした。
その日、家でテレビを見ていたら、ニュースで友達の名前が報じられました。
信じられなく、同姓同名を願いました。
しかし、事故で亡くなったのは私の友人でした。
そして、リアリティのない葬儀に参列しクラスメイトが涙しているなか私は涙がでませんでした。
現実味がなかったのか、命、死の意味が理解できていなかったのか感情が壊れているのか
今でもわかりません。
今でも考えるのは、友人が亡くなる前日
私は友人と遊んでいたのです。
砂場で、その子の大好きなガンダムのプラモデルで一緒に遊びました。そして夕方お互い家に帰りました。
どんな会話をしたのか覚えてはいないのですが、
もし、あの時自分が違うアクションをおこしていたのなら、未来は変わって友達は事故に遭わなかったかも知れないという思いがつきまといます。
罪悪感があるわけではないですが、もし
もし、あの日自分のタイミングがずれていれば
と考えてしまいます。
でも、その過去を経て現在がある。
私たちの子供が存在している
人間はお互いに良くも悪くも作用しあって
生きている。
それは雨がふり
水面に生じる波紋のように
近ければ近いほど大きく作用しあい
どんなに離れていても、少なからず作用する
そうやって世界はできている
そう思う。
だから怖くて逃げる
作用しないように作用されないように
だれかが言った言葉
髪の毛一本動いても世界が変わる
本当にそのとおりだと思う。
何気ない行動や言動が人の人生だけでなく、未来までも変えてしまう。
私達の子供達には素晴らしい人生を歩んでほしい。
長男が、いま5年生です。
あの事故から30年が経とうとしています。
自分の人生は自分だけのものではない
だから怖いけど、幸せに生きていければ
いいと思う。
もし、私の父母が出会ってなければば私は存在しない。
父と母も、祖父母のであいがなければ存在しない
それは、遥かなる歴史の果てに導き出されたもの
もし、江戸時代のご先祖がクシャミ一つタイミングがずれていたら私は存在していない。
私の子供達も存在していない。
数奇な運命、偶然がかさなり導き出された命。
頭から離れない事がある。
それは、私が小学生5年生の春休み。
もうすぐ6年生を迎える直前の出来事。
友達が交通事故で亡くなった。
とても仲の良い友達だった。
本当に優しくて、素敵な友達でした。
その日、家でテレビを見ていたら、ニュースで友達の名前が報じられました。
信じられなく、同姓同名を願いました。
しかし、事故で亡くなったのは私の友人でした。
そして、リアリティのない葬儀に参列しクラスメイトが涙しているなか私は涙がでませんでした。
現実味がなかったのか、命、死の意味が理解できていなかったのか感情が壊れているのか
今でもわかりません。
今でも考えるのは、友人が亡くなる前日
私は友人と遊んでいたのです。
砂場で、その子の大好きなガンダムのプラモデルで一緒に遊びました。そして夕方お互い家に帰りました。
どんな会話をしたのか覚えてはいないのですが、
もし、あの時自分が違うアクションをおこしていたのなら、未来は変わって友達は事故に遭わなかったかも知れないという思いがつきまといます。
罪悪感があるわけではないですが、もし
もし、あの日自分のタイミングがずれていれば
と考えてしまいます。
でも、その過去を経て現在がある。
私たちの子供が存在している
人間はお互いに良くも悪くも作用しあって
生きている。
それは雨がふり
水面に生じる波紋のように
近ければ近いほど大きく作用しあい
どんなに離れていても、少なからず作用する
そうやって世界はできている
そう思う。
だから怖くて逃げる
作用しないように作用されないように
だれかが言った言葉
髪の毛一本動いても世界が変わる
本当にそのとおりだと思う。
何気ない行動や言動が人の人生だけでなく、未来までも変えてしまう。
私達の子供達には素晴らしい人生を歩んでほしい。
長男が、いま5年生です。
あの事故から30年が経とうとしています。
自分の人生は自分だけのものではない
だから怖いけど、幸せに生きていければ
いいと思う。