いちごみるく宣言☆

徒然なるままに(笑)

ニワトリを食べる授業

2010-12-03 11:46:20 | 日記
昨日アビの振り回すおもちゃにに右目をもろにぶつけてしまって、今でも違和感…な明仙です(^^;)
もともとすごいガチャ目で、右目はほとんど見えてないから、別にそこまで気にしないですけど。


さて、きょうお話したいのは、「体験」のこと。
「農業体験」「職場体験」「◯◯体験」って、小学生とかもよく授業でやったりしますよね~。
すーさまからいただいたコメントで、実際に体験することについて、思い出したことがあるのでそれをひとつ。

「いただきます」は、食膳に並んだ「いのち」を「いただきます」するんだよ、ということを聞いたことがあります。
お肉は部分ごとにパックされて、お刺身はきれいに切り身になってスーパーで売られているこの時代、子供たちにどうやっていのちの大切さを教えるのか?
そういうことって教えるもんじゃないと思ったりもするのですが、こういう時代なんだからしょうがない。

「ひよこから育てたニワトリを自分たちで食べる」というプロジェクトは、小学生のみならず、高校などでも行われています。賛否両論なようですが((^^;)

参考までに、リンクをはっておきます。なるべく、主観がなくて、現実だけを述べたものを選んだつもりですが。
続「いただきます」命もらって人は生きている
こっちは、ご自身の意見をのべられていますが、長年教職の学生を養成していた、元大学教授のものです。
ニワトリを殺して、食べる



かわいがって育てたニワトリを最後に殺して、鍋とかカレーにする。子供たちからは「残酷」「かわいそう」という声や、泣き出して、処理自体を見られない子もいたりする。その鶏肉で作った料理も口にしなかったり、以降鶏肉が食べられなくなったり。
もちろん、そういう子ばっかりじゃないと思うんですけど。でも、何か違う気がします…。

その鶏肉を「食べない」ってことは、その授業は意味がなかったんじゃないかと思うのです。食べないっていうことは、その事実に対する拒否の行動ですから。
処理するとき、泣いてしまったりするのは想定の範囲内だと思います。だけど、本来なら、この授業の後、家でお肉が出たとき、「この前学校でやったニワトリさんと同じように、ウシさんの命をもらったんだね」って言って、残さず食べるのが理想のはず。更に言えば、「漁師さんは私たちのかわりにお魚をとってくれているんだ、このお肉も、私のかわりにブタさんを殺して切り分けてくれた人がいるんだね」っていうところまでわかってほしいところでしょう。だけど食べないっていうのは…。

この授業、いろんなバリエーションがあるのだと思いますが、多くで問題だと思うことが、二点あります。
ひとつは、ニワトリをひよこから育てるところ。
「ニワトリを育てる」と言っても、今の子供たちは、ペットの感覚でしか育てられないと思います。
かわいがるのは大事。愛も必要。だけど情を入れないで育てる。食肉用の養鶏をやっている方って、そうやって飼っているんじゃないのかな。
ペットは、食べる前提でのものではありません。家で飼ってるわんこ、さあ食べましょうと言っても無理でしょう?
食べる約束で飼育していても、子供が、実際割りきって育てるっていうのは難しいんじゃないかな…
だから、こういう授業をするにしても、おっきくなった鶏を買ってきて使った方がいいんではと思います。
もう一点は、生きているニワトリの首を落とすという作業。
「ニワトリを殺して、食べる」のほうでも書いてあるように、ニワトリの処理の仕方には、二種類あります。
ひとつは、ニワトリの首を切り落とす方法。
もうひとつは、首の骨を脱臼させる方法。
私はニワトリの処理をしたことがないので何とも言えないのだけれど、いつも使っているネズミさんとかで考えるに、首を落とすっていうのは私だってぞっとします。はっきり言って、スプラッタでしょ。
頸動脈を切るっていうのは、肉に血がたまらないという点で精肉の処理上、いいのだそうです。けれど実際問題それをやるとなると、慣れない人間が寄ってたかって首を切ろうとしたところで、ニワトリに恐怖と苦痛を無駄に与えてしまうだけだと思います。恐怖や苦痛を与えて殺すと、筋肉が固くなって肉質が落ちてしまう。それだったら、多少肉質が落ちたとしても、首を抜いたほうがいいんじゃない?
私はニワトリの首を抜いたことはありませんが、実験でマウスを使うとき、頸椎を脱臼させます。動物にとって苦しみがすくない、という点では、有効な方法なんじゃないかと思います。この元大学の先生の文章を読んでいると、一発でやればあっという間みたいです。ネズミの首を脱臼させるときにも言われますが、「一瞬で、思い切りやること。悩んだり戸惑ったりしていると動物に不安を与えるし、中途半端にやると、動物をひどく苦しませる」。
私、祖母のところでニワトリも飼っているけれど、首を触ってみると、割と頸動脈ってわかりやすい。だから、首を落とさずとも首を脱臼させて、血管だけ切って、逆さにしておけばいいんじゃないのかな。
だから、少なくとも首を抜くところまでは、経験のある、慣れた人にやってもらうこと。初めて鶏を締めるような、担任の先生とかがおっかなびっくりやって、首を抜くのに失敗して鶏が苦しんで、ってなると逆効果です。
首を抜かれた生き物の、「命がなくなる」っていう瞬間を見るだけでも、子供には十分な勉強になります。頸動脈を切るのは、やりたいって子がいればやってもらえばいいし、先生がやったっていい。それから、羽をむしったり解体したりするのを子供たちにやってもらえばいいと思うのです。いつも見慣れている「お肉」になっちゃえば、子供はわりと冷静みたいですね。


以前まで当たり前だった、「食べるための殺し」が、こんなに問題になっている。
授業で教えなきゃわからない、っていうのも微妙だけれども、別に悪いことじゃないと思うんですよね。要は、やり方っていう話で。私はそう思います。

皆さんもどうぞ、考えてみてください。

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