日本の美術館・世界の美術館

私が訪ねた美術館の報告。

ニューヨーク近代美術館 MOMA

2008-04-16 16:17:20 | Weblog
ニューヨーク近代美術館(MOMA)

場所:ニューヨーク
日時:2007・10・24
観覧料:16ドル

ロックフェラーセンターで地下鉄を降りた。ビルが林立していて、どの建物がどれだかわからない。ニューヨークの繁華街は高いビルが林立していて、空が狭くなっている。カメラを向けてもなかなか空まで届かない。こんなに高くて大丈夫かなと思うほどだ。ロックフェラーセンターには、テレビでおなじみのあの有名なのスケートリンクになる広場があった。ここにクリスマスツリーが飾られるのだ。今は世界各国の旗がはためいている。大勢の人が観光に訪れにぎわっている。そこから5番街に沿って歩き、ちょっと中に入るとMOMAがある。

MOMAの前には長い行列が出来ている。こんなに行列の出来る美術館はニューヨークでは珍しいのではないだろうか。1929年ジョン・D・ロックフェラーJr夫妻と3人の市民によって設立されたものが、今や10万点を超えるコレクションとなり、2004年日本の谷口吉生によってリニューアルされ、オープンした。ガラス張りのモダンな建物だ。

常設展5階からみることにした。いきなりセザンヌの部屋だ。これだけの数のセザンヌを一度にみるのは初めてだ。興奮した。正面の「水浴びする男」は青の時代のピカソの作品だと思ったらセザンヌだった。これを見るとピカソの初期はセザンヌの影響を色濃くうけていることがわかる。ピカソの研究をしていく上で貴重な資料となるだろう。

入口のところに特別にアンリ・ルソーの「starty night(星月夜)」が飾ってある。眠っているジプシー女をライオンが覗き込んでいる。ライオンの尻尾がぴんと立って、緊張しているのがわかる(ガラスが入っているので反射してきちんとはみられないが、やはりいい)。もう一点ルソーの作品は森の中のソファーで横たわる裸婦像。月が煌々と照らしている。やっぱり日曜画家なんてものではない。素晴らしい。

ピカソは青の時代の作品一点と「アヴィニヨンの娘たち」。これもセザンヌの水浴する娘たちの構図を下絵にしているような印象をもった。顔はアフリカ彫刻の影響ではないかと思う。MOMAには19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパ・アメリカの代表作といわれる作品が目白押しに並んでいる。ああ、これもかと記憶をたぐり寄せながら見て歩く。ただ、その展示方法は寄贈した人達のコレクション別に部屋が決められているので、時代順ではない。それで、同じ人の作品があちらにもこちらにもある。これが問題だと思う。寄贈を重視するあまり作品が二の次になってはいまいか。作品を純粋に鑑賞しょうとする人にとっては問題だ。

マティスの作品も多い。しかし、その中でも4階と5階の階段の踊り場にかかっている「ダンス」は素晴らしい。何がいいのだろうか。惹きつけられる。
モネの横長の大きな「睡蓮」もいい。シスレーの点描も何点かある。シニャック、ゴーガン、ルノアールも少しある。ブラック、カンディンスキーが何点かある。クレーは一枚。モンドリアンの部屋もある。レジェはたくさんある。ロスコ、ステラも。デ・クーニングの部屋もある。ポロックのナイフで切り裂いたような絵。フォンタナも何点か。リキテンシュタイン、アンディ・ウォーホール、アンドレ・ブルトンのコラージュ、マン・レイは写真ではなくて絵2点と他のもの、ジャコメッティは多数、デュシャンは便器ではなくて、スコップを吊り下げたもの、椅子、緑色のドアなど。デビュッフェも何点かある。日本人では草間弥生の最初にニューヨークで認められたスタイルの小さな作品。サム・フランシスは日本でみる作品のほうがよかった。ワイエス1点、エルンスト・ホッパーも。その他にも知らない人の作品が多数。ミロの絵もたくさんあった。タンギー、マックス・エルンスト、ダリ1点、キリコ3点、アンソール、マグリット、ヴィヤールなども。

3階に下りていくとデザイン関係のものがある。柳宗理のバタフライ・チェア-、三宅一生の切り抜きの洋服。空港の出発・到着の時刻表のボードの文字もデザイン化されたものだ。地下鉄の文字も。よく見ると身の回りのものすべてがデザインされたものだ。2階には版画のコーナー、写真の特別展もあった。ソニーの盛田さんご夫妻の部屋があり、そこにはハイテク関連のものが展示してあった。

MOMAの観客は老若男女というよりとりわけ若い人が多い。ガラス張りの窓からみる光景もモダンそのものだ。都会そのものだ。

アメリカ自然史博物館

2008-04-08 12:37:52 | Weblog
アメリカ自然史博物館

場所:ニューヨーク
日時:2007・10・22(火)
入場料:11ドル

9時過ぎ出発。自然史博物館は近いので歩いて行った。街は薄汚れた感じで、犬の散歩をしている人が多い。何匹も犬を連れているのは調教のひとだろうか。黒人の女の人が白人の赤ちゃんを乳母車に乗せて散歩しているのも見かける。半袖もいるが、長袖のシャツ一枚で十分だ。日の出が遅いので、朝は寒くても日中は暑くなる。銀杏、篠懸の木がある。自然史博物館に近くなると木が多くなり、近づいたぞという感じだ。制服を着た中学生の団体もいる。裏の入口のような所から入場したがとても広そうだ。ここではなんといっても恐竜から見たいと4階に上がる。開館したばかりで殆ど人がいない。係員はおしゃべりに余念がない。大きな部屋の窓から自然光が入り、とても明るい。ふつう博物館といえば暗くて閉ざされた所を想像しがちだがそんなことはない。
初めて見る大きな恐竜。頭の中で想像していたあの恐竜がいるのだと思う。圧倒されてぼんやりと見る。大きいのから小さいのまで幾つもある。バラサウルス、プラトサウルス、アルベルトサウルス、ヒプセロサウルス、ティラノサウルスなど数え切れない。カメラで撮ろうにも全部は入りきらない。頭が小さく、首が長く、脚は長くて太い。尾は長い。足跡も大きい。見て回るだけでたいへんだ。太い脚の骨があって、それに触れることができる。恐竜に触れることが出来て感激した。余談だが、ワシントンの航空宇宙博物館では「月の石」に触れることが出来た。ほんの4~5センチの小さな石だが、いままでにどんなに多くの人が触れたのだろうが、すべすべしたその石に触れて嬉しかった。月の石ってこんなのかなと思った。
全部の骨が発掘されたものばかりではなく、複製の骨を使っているものもある。こんな恐竜が地響きをたてて歩いていた時代を想像するだけで楽しい。鳥獣類の恐竜も羽根を広げて大きく天井から吊るされている。マンモスの大きな骨格がある。とても大きくて驚くばかりだ。4階には他に原始哺乳類、高等哺乳類、脊椎動物の起源など6部屋にまたがり、脊椎動物の進化がわかるようになっている。
3階にはビデオのコーナーがあり脊椎動物の進化の過程がよくまとめられて、あきないように工夫されている。

2階にはジオラマの大きなガラスの展示室があり、各地の動物が地区ごとに展示されている。実際の風景の中でのように、きちんと表現されているのには驚く。アフリカの哺乳類、アジアの哺乳類の部屋。世界の鳥類の部屋等などがある。
1階には34トンもの世界最大の隕石がある。ワシントンの自然史博物館のものより更に大きい。ホールには天井にシロナガスクジラが浮かんでいる。あまりに大きすぎるので、尾の所で折り曲げて展示されている。全長35m、世界最大の生きものだ。

ワシントンと並んで、ニューヨークの自然史博物館も目を見張るものがある。
こんなものはアメリカでしか見られないのではないだろうか。年間300万人の来館者があるそうだが、頷ける。とても1日ではみられないが、その片鱗に触れた思いがする。子供の頃からこういうものに触れていたら、また考えが変わったろう。




清水隆慶展

2008-04-07 11:27:25 | Weblog
仏師 清水隆慶展  新春特別展示

場所:京都国立博物館 平常展示館5,6室
入場料:500円  2/3(土)無料
観覧日:2008.2.23(土)


未知の人 清水隆慶を見に行った。この日は運良く無料の日だったが、さして混んでいるようでもなかった。部屋に入ると、平安時代、鎌倉時代の大きな仏像がまず目につく。その間に小さな彫像が置かれてある。何だろうと思ってみるとこれが清水隆慶の作品だった。初めての彫像だった。
小さな小さな人物像が5,6段に並んでいる。3cmくらいだろうか。全部を合わせると100人位。それで「百人一衆」なのだ。一番上が宮殿人。あとは虚無僧、子供をおんぶした人、喧嘩の仲裁をしている人、杖をついた盲人、僧侶、踊りを踊る人、子供、さまざまな人々がさまざまな姿に彫られている。木造彩色で細かいところまで丁寧に作られている。筋肉の動きもみえる。自筆でこの像について書いてある。それによると、ふと目覚めた時、寺の鐘の音を聞きながら、町を行く人を思い出しながら造ったとある。そして、「老いらくのてんごうゆるせ秋の暮」という俳句を添えている。「老いらくのてんごう」とは老人のいたずらのこと。仏像作りがこんなものを作ってしまったという照れがある。のびのびと楽しみながら作ったことが伝わってくる。京都の人らしく仏像造りの時余った材料で勿体無いから何かに使おうと思ったのかもしれない。

初代清水隆慶は1659年生まれ1732年没した江戸時代初期の仏師である。清水隆慶は4代までつづく。「初代清水隆慶位牌」は1726年68歳の作で、位牌の下に自身の胸像を安置している木造彩色である。位牌に胸像も添えてあるのはその時代としてだけでなく今でも驚かされる。位牌と胸像を見ながらおまいりするのは何となく遊び心があって面白いし、独創的だ。
「髑髏」は木造彩色で実物そっくりだが1/2の大きさである。実物大でない大きさは技術的に難しい。そこに隆慶の腕の確かさを見る。眼孔の奥まできちんと彫られている所からこれは実物を実際に見て制作したのであろう。この時代、髑髏を彫刻するのは非常に珍しかったのではないか。髑髏に興味を持ったその心が面白い。
「関羽立像」は1730年72歳の作。関羽は中国蜀漢の時代の武将。義の人で劉備を助けて功があった。子孫が義を忘れないようにと作ったものだ。木造彩色で鮮やかな作品。衣が翻る様も華麗である。
「竹翁座像」も木造彩色である。竹翁は江戸時代前期の古浄瑠璃の太夫で、近松門左衛門などとも親交があった。羽織袴も折り目正しく、袴の折り畳まれた襞がふんわりとして木彫とは思えない。

「維摩居士座像」は維摩経の修行者があばら骨がみえるほどやせ衰えて座っている。しかし、赤と緑の彩色で非常に鮮やか。他に「大黒天立像」がある。

「二代清水隆慶位牌」は初代とは血縁関係にはない二代目の作品で、初代と同じく位牌と胸像だ。「冨士見西行像」は西行が富士山を仰いでいる像である。杖に全身の力をかけて、片足を爪先立ちしている。それが非常に面白い。西行の冨士見図は他の人々によって作られた作品もあるだろうが、比較してみたら面白いだろう。他に「利休像」がある。

江戸時代の仏師は彫るだけでなく彩色もできたのだ。題材も竹翁などの太夫から髑髏まで多岐に渡る。彫刻だけでなく、俳句も作るし、字もうまい。和歌も詠んだ。「わが影のうつりてすむはあくた川うき名をながす名をやとどめむ」。

初代も二代も仏像の残り木を使って、小さな像を作った。残り木だから、何を造ってもいい。仏像を作る時の緊張を離れて自由に心を遊ばせている。肩の力を抜いて、楽しんでいるから見る方も楽しい。