4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (chomemaro) 2007-06-26 21:23:24 難しいことは、考えてますね、相当調子悪いですね^^;;ま実際のところ、精神的な交通事故にあって、障害を負って、PTSDまでなって、リハビリもPTSDのためにうまくいかない、そんな状況じゃないですか。交通事故にあった自分を責めるなんて、良くないですよ。運が悪かったんですから。心が、過去にこだわるのも、誰かを言い負かすための説得できる自分を得たいのも、当然のことなんですよ。家族に、自分の気持ちをぶつけることすら、悪いことだと思ってらっしゃる。困りましたね^^別に誰かを説得したり、言い負かしたり、うまく説明できなくてもいいんですよね...本当は。そんなこと、望んでいるわけじゃない...実は、自分のこと認めてくれるだけでいいんだけれど。必要だよ、愛しているよ、あなたは何にも悪くないよって家族が言ってくれるだけでいいんだけどね。だが...これが意外に難しい壁だ。そんなことわかってるじゃん、言わなくてもわかるよね、そんなこといつまで言ってるの(これ、普通の反応)でも、心で思っていてもね、病気は治らないんだよーちくしょー、ちゃんと、認めてくれなきゃ。PTSDは、ちょっと、治療方法が違って、普通に治るというわけにいかないんだよね...つまり、時間が解決しないんだよね。少しずつ行こうね、お互いに^^うちの子供の口癖が、しょーがねーなー(仕方ないな)なんだけれど結構使えたりする、しょーがねーなー、ま、いっか....と言って、相手を大目に見るんだけれど、相手の弱さにも、自分の傷にもそういってあげれるようになるといいねぇ 返信する Unknown (mumu.com) 2007-07-10 01:13:09 #chomemaroさんへ少し調子が悪いのでレスが遅くなりました。今もあまり調子が良くないのですが、ずっと書かなければと思って今日になりました。「運が悪かった」というよりは駄目になるまで行かなければ解ってもらえないということが解っていましたので行ったまでなんですよね~....拘ってはならないと解りつつも過去という牢獄の中からでしかモノを見られない現在に苦しんでいるのが現状です。気持ちが荒んでいる状態を維持し続けることを科せることを習慣にしているところがあってそれが今のおいらの人格を蝕んでいることがよりつらい状況を生んでいるのかも知れません。加えて今まで論破され続けてきましたので、もしそのような状況にあっている人のために代弁したいと感じるんですよ。おいらの親も忍耐強い方たちで苦渋を受け甘んじてこられた方なので見ていると辛いんです。今でもうまく表現できずに無駄な事を行わされているという実態を考えると効率よく物事を行えるようになりたいとも思います。「口べた」なのは親譲りなんですな。しかし口べたの一言というのは非常に重たいモノですし、的を射ていて効果的なモノなのかも知れません。特においらの父上は口べたですが、両親とも家族を思い親族を思っていることが良くわかります。おいらはどちらかというと口で言うよりも行動で示す人の方を評価したいと考えています。口ではなんとでも言えますし、口だけの人間というのは多いですよね。「言葉によらず、行いによって示して」いきたいものです。chomemaroさんに指摘されるまで自分で理解していなかったのですが、おいらの中にPTSDというのはあるんですね~。以前にコメント頂いた際にご指摘くださった際に自分の中での苦しさの原因がわからない事があったのですが、PTSDだと言う事がわかりました。感謝感謝です。自分で記事にしましたが、まさか自分で当てはまっているとは考えていませんでしたからね~。調子が悪いと人の荒というのがよく見えますよね~。おいらは人の荒を見ると自分の中にないかどうかを確認する習慣があります。おいらはかなりの大きさの樽があることを痛感するんですな。(笑)色々と人には問題がありますし、人の事を言えるような上等な人間ではないという事も感じます。許容範囲であれば寛容な精神を持って生活していきたいモノです。 返信する Unknown (chomemaro) 2007-07-13 11:58:58 心の病気というのは、定義が難しいので、PTSDとか抑うつとか、躁鬱とか、判断が非常に難しい分野ですよね。お医者様でも、あんまりそういった診断は下されないのが、最近の傾向です。私はPTSDに効くSSRI系の薬<最近自殺率が高いと話題になった薬と違いますよ、姉妹薬ですけれどえお、飲んでいるのですが、とてもPTSDには効きます、といっても、ものすごく時間がかかったのはいうまでもなく、完治はしていなくとも(一生忘れ去るのは無理らしい)問題を遠ざける体力が出てきています。mumuさんの症状を聞くと、あー、似ているなーと思うので、きっと間違いないと思います。お医者様によっては、いろいろ診断もわかれますが、大きな地震とか、事故とか、犯罪や戦争のみがPTSDではなく、命にかかわるような状況を経験すれば、当然PTSDになるわけなんです、たとえ、人間関係でもです。あの当時の、こだわりが強くなる時期は、それだけ調子の悪い証拠で、逆に、遠目で見られたり、冷静に判断できるときは、調子のいいときのようです。PTSDは、思い出すことを避けたり、無かったことにしてもけして治らないらしいです。むしろ、問題を、冷静に判断し、自分から遠いところに投げる意識が必要らしいです。もう二度と、おんなじことしないぞー、みたいな^^;;えらい、分かりにくくてすみません。ところで、mumuさんのいわれるとおり、最近、世の中の正しい軸がぶれていますよね、方位磁石がぶれぶれです、ですから、まじめにやればやるほど、損する時代が到来しています。私も、社会制度を利用するのに、多少の誇張や、極端に言えば、嘘っぽいことも言えねば、利用できないことに、疑問を感じます。そのほかのことでも、そう感じることが多いですね。公正さも、今は、難しいのでしょうかねー 返信する Unknown (mumu.com) 2007-07-17 00:25:35 #chomemaroさんへなるほど~。「命に関わる事を経験する」というのがポイントなんですね。記憶障害が起こっている理由のほとんどがある人との関わりであったり仕事上の「一生懸命やっても報われない」という思いであったりするので困って居るんですよ。意欲が湧いてこない事の起因として仕事を一生懸命する事が無意味で無駄な事だと言われ続けていました。おいらは心の中では否定し続けていたんですけどね。言いくるめられて、ある種の悪質な洗脳のようなものでした。一生懸命している事が無駄な事なのに仕事を辞める事が無いようにし向けて「なぜ仕事を辞めさせてくれないのだ」という意識もありました。少なくともおいらは仕事には意義があると考えていますし、やりがいを見いださなければ達成感を味わえないはずです。彼の言い分では仕事は「生きていく為には必要な事」だけど、「一生懸命する価値のない事」だという言い分を突きつけられ続けていましたので辛くてたまりませんでした。それに意見しようモノなら圧倒的な論破によって為す術もありませんでした。言われる事をそのまま受け入れ心を殺すしかなかった訳です。結局は心を殺した時点で死んだも同じ状態だったのかも知れません。やはりあのときに「なぜ死ねなかったのだろう」という疑問が今でも心を満たす事があります。死ぬ事でしか解決しないとか疑問を提示し責任追及する事ができていたかもしれないのにと悔やまれます。また人間的に問題のある人間たちなのですからどこに行っても同じ過ちを犯すでしょう。これは容易に結論できます。人間というのは失敗をしてもそれを認めない限り変われませんからね~。また悔やんでも実際に行動し実行しなければ意味がありません。法律では認識していなくても「相応の贖罪」なり「刑事罰」を受けるのですから、解ってやっていたなら尚更に罪が重いでしょう。ここ最近は調子が悪いのでおいらの主観が非常に強い記事ばかり書いています。思考が出来ないので頭を潜らさずに、思ったままを記事にしている事があります。躓きの原因となっているかもしれません。もうしわけないです。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
ま実際のところ、精神的な交通事故にあって、障害を負って、PTSDまでなって、リハビリもPTSDのためにうまくいかない、そんな状況じゃないですか。
交通事故にあった自分を責めるなんて、良くないですよ。運が悪かったんですから。
心が、過去にこだわるのも、誰かを言い負かすための説得できる自分を得たいのも、当然のことなんですよ。家族に、自分の気持ちをぶつけることすら、悪いことだと思ってらっしゃる。困りましたね^^
別に誰かを説得したり、言い負かしたり、うまく説明できなくてもいいんですよね...本当は。
そんなこと、望んでいるわけじゃない...実は、自分のこと認めてくれるだけでいいんだけれど。
必要だよ、愛しているよ、あなたは何にも悪くないよって家族が言ってくれるだけでいいんだけどね。
だが...これが意外に難しい壁だ。
そんなことわかってるじゃん、言わなくてもわかるよね、そんなこといつまで言ってるの(これ、普通の反応)でも、心で思っていてもね、病気は治らないんだよーちくしょー、ちゃんと、認めてくれなきゃ。
PTSDは、ちょっと、治療方法が違って、普通に治るというわけにいかないんだよね...つまり、時間が解決しないんだよね。少しずつ行こうね、お互いに^^
うちの子供の口癖が、しょーがねーなー(仕方ないな)なんだけれど
結構使えたりする、しょーがねーなー、ま、いっか....と言って、相手を大目に見るんだけれど、相手の弱さにも、自分の傷にもそういってあげれるようになるといいねぇ
少し調子が悪いのでレスが遅くなりました。
今もあまり調子が良くないのですが、ずっと書かなければと思って今日になりました。
「運が悪かった」というよりは駄目になるまで行かなければ解ってもらえないということが解っていましたので行ったまでなんですよね~....
拘ってはならないと解りつつも過去という牢獄の中からでしかモノを見られない現在に苦しんでいるのが現状です。
気持ちが荒んでいる状態を維持し続けることを科せることを習慣にしているところがあってそれが今のおいらの人格を蝕んでいることがよりつらい状況を生んでいるのかも知れません。
加えて今まで論破され続けてきましたので、もしそのような状況にあっている人のために代弁したいと感じるんですよ。
おいらの親も忍耐強い方たちで苦渋を受け甘んじてこられた方なので見ていると辛いんです。
今でもうまく表現できずに無駄な事を行わされているという実態を考えると効率よく物事を行えるようになりたいとも思います。
「口べた」なのは親譲りなんですな。
しかし口べたの一言というのは非常に重たいモノですし、的を射ていて効果的なモノなのかも知れません。
特においらの父上は口べたですが、両親とも家族を思い親族を思っていることが良くわかります。
おいらはどちらかというと口で言うよりも行動で示す人の方を評価したいと考えています。
口ではなんとでも言えますし、口だけの人間というのは多いですよね。
「言葉によらず、行いによって示して」いきたいものです。
chomemaroさんに指摘されるまで自分で理解していなかったのですが、おいらの中にPTSDというのはあるんですね~。
以前にコメント頂いた際にご指摘くださった際に自分の中での苦しさの原因がわからない事があったのですが、PTSDだと言う事がわかりました。
感謝感謝です。
自分で記事にしましたが、まさか自分で当てはまっているとは考えていませんでしたからね~。
調子が悪いと人の荒というのがよく見えますよね~。
おいらは人の荒を見ると自分の中にないかどうかを確認する習慣があります。
おいらはかなりの大きさの樽があることを痛感するんですな。(笑)
色々と人には問題がありますし、人の事を言えるような上等な人間ではないという事も感じます。
許容範囲であれば寛容な精神を持って生活していきたいモノです。
私はPTSDに効くSSRI系の薬<最近自殺率が高いと話題になった薬と違いますよ、姉妹薬ですけれど
えお、飲んでいるのですが、とてもPTSDには効きます、といっても、ものすごく時間がかかったのはいうまでもなく、完治はしていなくとも(一生忘れ去るのは無理らしい)問題を遠ざける体力が出てきています。
mumuさんの症状を聞くと、あー、似ているなーと思うので、きっと間違いないと思います。
お医者様によっては、いろいろ診断もわかれますが、大きな地震とか、事故とか、犯罪や戦争のみがPTSDではなく、命にかかわるような状況を経験すれば、当然PTSDになるわけなんです、たとえ、人間関係でもです。
あの当時の、こだわりが強くなる時期は、それだけ調子の悪い証拠で、逆に、遠目で見られたり、冷静に判断できるときは、調子のいいときのようです。
PTSDは、思い出すことを避けたり、無かったことにしてもけして治らないらしいです。むしろ、問題を、冷静に判断し、自分から遠いところに投げる意識が必要らしいです。もう二度と、おんなじことしないぞー、みたいな^^;;
えらい、分かりにくくてすみません。
ところで、mumuさんのいわれるとおり、最近、世の中の正しい軸がぶれていますよね、方位磁石がぶれぶれです、ですから、まじめにやればやるほど、損する時代が到来しています。
私も、社会制度を利用するのに、多少の誇張や、極端に言えば、嘘っぽいことも言えねば、利用できないことに、疑問を感じます。
そのほかのことでも、そう感じることが多いですね。
公正さも、今は、難しいのでしょうかねー
なるほど~。
「命に関わる事を経験する」というのがポイントなんですね。
記憶障害が起こっている理由のほとんどがある人との関わりであったり仕事上の「一生懸命やっても報われない」という思いであったりするので困って居るんですよ。
意欲が湧いてこない事の起因として仕事を一生懸命する事が無意味で無駄な事だと言われ続けていました。
おいらは心の中では否定し続けていたんですけどね。
言いくるめられて、ある種の悪質な洗脳のようなものでした。
一生懸命している事が無駄な事なのに仕事を辞める事が無いようにし向けて「なぜ仕事を辞めさせてくれないのだ」という意識もありました。
少なくともおいらは仕事には意義があると考えていますし、やりがいを見いださなければ達成感を味わえないはずです。
彼の言い分では仕事は「生きていく為には必要な事」だけど、「一生懸命する価値のない事」だという言い分を突きつけられ続けていましたので辛くてたまりませんでした。
それに意見しようモノなら圧倒的な論破によって為す術もありませんでした。
言われる事をそのまま受け入れ心を殺すしかなかった訳です。
結局は心を殺した時点で死んだも同じ状態だったのかも知れません。
やはりあのときに「なぜ死ねなかったのだろう」という疑問が今でも心を満たす事があります。
死ぬ事でしか解決しないとか疑問を提示し責任追及する事ができていたかもしれないのにと悔やまれます。
また人間的に問題のある人間たちなのですからどこに行っても同じ過ちを犯すでしょう。
これは容易に結論できます。
人間というのは失敗をしてもそれを認めない限り変われませんからね~。
また悔やんでも実際に行動し実行しなければ意味がありません。
法律では認識していなくても「相応の贖罪」なり「刑事罰」を受けるのですから、解ってやっていたなら尚更に罪が重いでしょう。
ここ最近は調子が悪いのでおいらの主観が非常に強い記事ばかり書いています。
思考が出来ないので頭を潜らさずに、思ったままを記事にしている事があります。
躓きの原因となっているかもしれません。
もうしわけないです。