武蔵野美術大学校友会兵庫県支部

武蔵野美術大学校友会兵庫県支部の情報です

関西学院美術鑑賞ツアーを行ないました

2007-09-29 16:42:13 | Weblog
120年近い歴史を誇る関西学院の所蔵する美術作品の鑑賞ツアーを行いました。

 
高等部会議室で、野口彌太郎、吉原治良、遠藤泰弘の作品に見入る参加者・・・


大学図書館の荒木高子氏のロックバイブルの作品前で・・・

 
ヴォーリーズ建築の洋館での昼食会
横山会長の挨拶の後、楽しい歓談の時を持ちました。


洋館2階での食後の歓談風景


参加者記念撮影



資料

 関西学院の歴史
1889年ランバス関西学院創立(神学部、普通学部)神戸原田の森
1894年「三日月の校章」
1912年「マスタリーフォーサービス」ベーツ
1915年普通学部を中学部(旧制中学)と改称、「弦月会」発足
1929年上ヶ原移転
1933年校歌「空の翼」北原白秋詩、山田耕作曲
1948年新学制による「新制大学」となる

 作家紹介
野口彌太郎   
1899-1976東京本郷生まれ。13歳のとき神戸に移住。1914年関西学院中学部(現高等部)に入学。この頃より絵を描き始め、弦月会に入って活動。1920年関西学院中学部卒業後上京し、川端画学校に通い、藤島武二の指導を受ける。1920年代に「二科会」に出品。1929年代渡仏。グラン・ショミエール画塾に通う。サロン・ドートンヌに出品。1933年帰国。「独立美術協会」に参加。戦後の若い世代に、西欧文化を吸収したモダンかつ日本的なエスプリに溢れる明るい画面で、深く影響を与えます。1975年日本芸術院会員。
*「ニースのカーニバル」は、1960年ごろの作品で、昭和の日本の洋画壇の中でも独特のモダン・スタイルを持ち活躍した、野口彌太郎の代表作といえます。軽妙な筆使いと、色彩の美しさが印象的な作品です。

田中忠雄
1903-1995北海道札幌市に牧師の息子として生まれ、11歳の時神戸に移住。神戸二中(現兵庫高校)在学中に、小磯良平と出会い絵を始める。当時、原田の森の関西学院の建物をよく描いていたといわれます。京都高等工芸学校卒業後、上京し、前田寛治に学び、1930-32渡仏。1969-74武蔵野美術大学教授。聖書の主題にテーマを求めた作品を数多く生み出しました。
「弟子の足を洗う」高等部2Fホール、「空の鳥を見よ」中学部、「よきサマリア人」社会学部
*「弟子の足を洗う」は、主イエスが弟子の足を洗うという、洗足の場面です。
この洗足は、イエスが十字架にかけられる直前の最後の晩餐の席で行われたものです。イエスは、自身がこの世を去る時、最後まで弟子達を愛したということが、聖書のヨハネ福音書に示されています。これが最後の晩餐と知らない弟子たち。普段と変わらない夕食の席で、イエスが弟子達の足を洗いました。ひとりまたひとりと、順番に弟子達すべての足を洗います。足を洗うという行為は当時最も身分の低い奴隷のする行為でした。その僕(しもべ)の姿となったイエスは、そのことによって神様の愛を現しておられるのでしょうか。神様によって罪を洗い清められた私達は、綺麗に洗われたこの足で道をまっすぐに、歩んでいかなければならない・・・・田中忠雄氏の深い信仰に導かれた作品は、静かに、でも力強く、私たちに語りかけてくれます。

西村 功
1923-2003幼い頃悪性の中耳炎により聴覚を失う。1947年帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)卒業後西宮に戻り、聾学校で教鞭を執る傍ら創作活動を続け、二紀会、西宮美術協会展に出品。(帝国美術学校の同期に同じく神戸で二紀会の中西勝がいる。)
1965年第9回安井賞受賞。1971年より神戸に住み、生涯を通してパリへの取材旅行を続け、パリのメトロ風景など多くの秀作を残しました。その温厚な人柄から多くの人に愛され慕われ、また、その作品には純粋で静かな時が刻まれており、人間愛に満ちた作品といえます。
 *「待つ人と降りる人」は、今は少なくなってきた白煉瓦のパリのメトロを好んで描いた西村氏の作品の中でも代表作といえます。
電車がやってきて、ホームを多くの人が行き来する。そんな場所で、西村氏は一人静寂な世界を築いていました。西村氏は何を視ていたのでしょうか・・・

鴨居 玲
1928-1985金沢美術工芸大学卒。1969年「静止した刻」で安井賞受賞。中学時代に関西学院で学ぶ。24歳から西宮、神戸に住み、フランス、ブラジル、スペインなど海外でも生活。「教会」シリーズはヨーローッパで生活するなかで直面した宗教という壁に対して自分の存在を問いかけた重い作品です。1969年から始まり、試行を重ね、結局は神秘的なブルーの中空に傾いて浮かぶ「教会」へ辿りつきます。
 *本作品は1970年、当時としては大作の部類に属する描きかけの浮遊しない教会の絵を鴨居玲がナイフで切り裂いたものです。
鴨居玲が弟のように可愛がっていた現代美術家として活躍している榎忠と話し込んでいた時、妥協を許さない作家の姿勢をカンバスを切り裂くという行為で示し、「厳しく良い仕事をしろよ」と若い作家へのメッセージとして榎忠に託されたそのカンバスは、やがてギャラリー島田の島田誠氏に託されました(1996年)。2007年に本校に寄贈。
自死ともとれる57才での人生への訣別もまた作家の自己表現であったのでしょうか・・・

吉原治良
1905-1972(1928年高等商学部卒業)弦月会、1929年24歳のときに17年ぶりに帰国した藤田嗣治に出会い作品を持参、批評を請いました。この時、藤田から作品に見られる他者からの影響を厳しく指摘され、オリジナリティーの重要性を強く認識したと言われます。藤田は吉原の才能を高く評価しパリ留学を勧めましたが、実現はしませんでした。吉原製油に勤務、その後、会社を引き継いでいくこととなります。作品は二科展~九室会を中心に発表していきましたが、1954年「具体美術協会」を結成し、代表となります。1972年67歳で亡くなるまで、日本の前衛美術の第一人者として活躍しました。
「人の真似はするな。」「自分しかできないもの、お前がこの世に生まれていなかったらできなかったというような絵を描け・・・」は若い作家に繰り返し説いた言葉です。
具体美術協会の運動は世界に日本の前衛美術の存在をアピールする、世界の美術史に残る活動となっており、日本の前衛美術として今でも世界各地で展覧会が企画され、紹介されています。
 *「作品1962」アンフォルメルな傾向がいっそう流動感と物質性を強めていき、荒々しく絵具を付着させたマチエールがそのまま形となり、流動する痕跡が空間を作り出しています。新たなものを常に求めていった吉原のダイナミックな試みを追体験することができます。
 *「作品」は吉原がたどり着いた「円」の作品です。円という形を採用することで、何を描くかということから開放されて、ただひたすら「円」に向き合って描くという制作スタイルになりました。

松谷武判
1937-大阪市生まれ。具体美術協会に参加。1966年パリのS・W・ヘイターの版画工房アトリエ17に入門、その後ヘイターの助手も努める。現在もパリを拠点にヨーロッパ、日本各地で活躍。人が一言も発せずに座していたとしても、ある人格の力を感じさせることがあります。ものも同様にその語りかけの力を持っていると思います。松谷武判の作品からは、ものの沈黙から発する力を感じ取ることができます。
*「絵画」は、重力を感じます。全体を覆う鉛筆のタッチは作家の精神の痕跡と言えます。物体としての絵画が発するものを感じてみてください・・・

遠藤泰弘
1934-1996 神戸生まれ。武蔵野美術大学卒業。NHK就職。1984年NHKを退社し画業に専念。  「その人自身の自然さで描いているのがすきだ。このごろ絵が物化してきている。方法が先行している絵が多い。絵はたしかに「物」にはちがいない。その「物」の必要もあるが、人間の内側の自然さがなくてはだめだ。それがぶち毀れてきている。・・・まったく呼吸するように自然な心の状態がなくなったらたいへんだ。 遠藤君の絵はそういう自然さのなかで仕事が進行しているのだと思う。絵のなかにやさしさのような質が感じられるがそれは大切な自然さだ。」(麻生三郎記)
*「かさねる 白」は、抽象絵画ですが、白が生み出す、豊かで奥行きのある空間は、生命や希望をも感じることが出来る魅力的な作品です。余分なものがいっさい描かれていない、一筆一筆の作家の呼吸を感じることのできる遠藤氏の代表作といえます。

S・W・ヘイター
1901-1988ヘイターは版画家であり画家でもありました。銅版画において一版多色刷りの技法を考案するとともに、版画工房「アトリエ17」をパリとニューヨークに開設。多くの画家や版画家がこの工房から育っていきました。 1960年の第2回東京国際版画ビエンナーレでヘイターが国際大賞を受賞。日本でも、その名が広く知られます。
 
村上三郎
1925-1996(1948年文学部卒)弦月会。1955年より具体美術協会。独自の哲学的思索に裏打ちされたパフォーマンスを発表し、一貫してその姿勢を崩さなかった。

吉原通雄
1933-1996(1955経済学部卒)弦月会、吉原治良の次男、具体美術協会。

児玉幸雄
1916-1992(1939商経学部卒)田村幸之助に師事。1937より二科展、1947より二紀会に移る。度々渡欧し、パリの広場、市場などを表現力豊かに描いた。

小磯良平 
1903-1988神戸市生まれ。(神戸二中(現兵庫高校)。東京美術学校(現東京芸術大学))。在学中に帝展特選。卒業制作では竹中郁をモデルにした『彼の休息』で首席卒業。東京芸術大学教授。1982年日本芸術院会員。「聖書より」学院本部

杉本亀久雄
1920-1992(1941高等商業学部卒)毎日新聞社の美術記者となるが、その後退社し林武に師事。自由美術協会。1950モダンアート協会の創立に参加。

川西祐三郎
1923-(1947商経学部卒)関西の創作版画をリードする存在であった川西英の子息で、明朗な色彩と大胆な構成の風景版画を発表。日本版画協会。国画会。神戸市在住。

片岡慎太郎
1926-(1952経済学部卒)多摩美術大学教授。芦屋市在住。
「それは風のなかに」「光は招く」関学会館ホール正面

石阪春生
1929-(1951経済学部卒)弦月会。小磯良平に師事。新制作協会。神戸市在住。
「女のいる風景」学院本部

渡辺禎雄
1913-1996日本独特の染色工芸の「型染」を和紙に応用した「染色版画」の技法で、聖書の音信を新鮮に受け止め、自由とユーモアに満ちた作品を生み出しました。
*「最後の晩餐」
*「十字架」

荒木高子
1921-西宮市生まれ。須田剋太に師事。「ロックバイブル」大学図書館

吾妻兼二郎
1926-国際的に活躍する戦後日本を代表する彫刻家。「MU-750」大学図書館

新宮 晋
1937-動く立体彫刻、野外彫刻で活躍。「光の海」大学図書館南面屋外

植松奎二
1947-神戸市生まれ。インスタレーションの先駆的な作家として国際的に活躍。
「浮くかたち――垂――」大学図書館前屋外

W.M.ヴォーリズ 
1880-1964米国人宣教師として来日。滋賀県近江八幡市を拠点としてキリスト教の伝道活動に携わる一方で、慈善事業、厚生事業(メンソレータムの販売など)のほか、日本の近代建築の設計にも大きな足跡を残しました。ヴォーリズが設計した建築物は大学、教会からオフィスビル、百貨店、個人住宅に至るまできわめて多彩。現在でも現役として使用されている建物も数多くあります。
関西学院が神戸から上ヶ原にキャンパスを移転した時、W.M.ヴォーリズは各校舎の設計だけではなく、キャンパスの構成までを手がけました。後方の甲山を背景に時計台、中央芝生、正門、公道が一直線の軸線を持ち、学院が町に開かれていく開放的な雰囲気を生み出しています。
現在も中央芝生の周囲の景観は、当時の雰囲気そのままに保たれています。
図書館、神学部、文学部、経済学部、中央講堂、宣教師住宅、学院本部棟、現中学部本館など

文化財ボランティア養成講座のご案内

2007-09-21 23:14:37 | Weblog
毎々、お騒がせしています。

歴史と出会えるまちづくり船場城西の会からのご案内です。

文化財ボランティア養成講座開催(姫路市教育委員会文化財課との共催)

お彼岸 9月24日(月、休日)
10:00~景福寺山 城主 松平明矩 の墓周辺掃除 文化財ボランティア
       景福寺山門にお集まり下さい。蚊対策が必要です。草刈の道具、
軍手を持参してください。
       幼稚園が運動会のため、駐車場はありません。
車の方は大手門駐車場に駐車してください。

13:00~景福寺山東麓 見星寺新館3階にて
       文化財ボランティア養成講座 「景福寺界隈と城主」 
講師:当会 糸田副代表

詳しくは当会ホームページ  http://www.himesen.com をご覧下さい。

10月28日(日)の 文化財活用プロジェクト in船場御坊
兵庫県芸術文化センター交響楽団アンサンブル 金管五重奏 と
明治天皇行在所 秋の特別公開 にも 是非お越し下さい。

中山栄一郎

大阪支部展より案内が届きました!

2007-09-05 17:43:22 | Weblog
      MSB 武蔵野美術大学 
     校友会大阪支部展のご案内

 残暑の候、皆様お元気でご活躍のことと存じます。
今年も恒例の大阪支部展を下記のとおり行いますので
     お近くにおいでの節には
 お立ち寄りくださいますようにお願いいたします。

            記
  会期 平成19年9月10日(月)~9月15日(土)
  AM10:00→PM6:00/最終日はPM4:00まで
  場所 大阪府立現代美術センター 展示室(南館1階)
  〒540-0008 大阪市中央区大手前3-1-43
  tel 06-4790-8520

 オープニングパーティー
  平成19年9月8日(土)搬入展示後、会員相互の親睦も兼ねて
  パーティー会場を用意しております。
  作品出品の有無にかかわらず参加大歓迎です。
  場所 CAFE CHINOIE SASALA 06-6947-0802
 現代美術センター向い、徒歩5分
     開始 PM6:30~