身辺雑記

日々の生活の事など…

大晦日

2004-12-31 23:59:27 | Weblog
今日は大晦日ですが、何とか大掃除も終わり、年越しを迎える
こととなりました。
今日は家中の戸口に注連縄を張り終えた後、祖父から氏神様に
注連縄を飾るよう言われ、氏神様の所に行きました。
鳥居をくぐり、お社まで行くと、拝殿の柱や屋根などに、
近隣の方たちの注連縄が所狭しと飾ってありました。

私も隅のほうに飾らせていただき、大晦日ということもあり、
大祓詞を奏上させていただきました。
それから一年の感謝を述べ、その後、個人的に親しみを
感じている神社にも参拝し、帰途につきました。

明日もお参りに行くので、写真を撮ろうと思います。

今日の実修は、いつもに比べて終えた後、心が晴れやかな気分になりました。

本年は、まひと様を始め、柏木様、梅公様にいろいろと学ばせていただき、
本当にありがとうございました。
私は至らぬところが多々ございますが、来年もよろしくお願い申し上げます。

大掃除

2004-12-31 21:37:28 | Weblog
昨日の日記になりますが、家の大掃除が半分終わり、
神棚と仏壇のお掃除をしておりました。
半年前に一度したきりで、思ったほど埃は溜まっていなかったのですが、
一時間半程度掛かってしまいました。
また、ご神札のお取替えが出来ず、大晦日の一夜飾りとなってしまったのが
残念でした。
掃除の終わりに、来年も無事に過ごせるようにと祈り、片付けを終えました。

一昨日、昨日の実修では、考え事が頭から離れなかったためか、
うまく集中できず、終えた後も心が重く感じました。



餅つき

2004-12-29 00:38:50 | Weblog
そろそろお正月が近付いて来たため、餅つきをするようになります。
餅つきといっても、今は機械で捏ねるだけなのですが、
それでも味は美味しいため、大抵はどこの家庭でも使っています。
私の家ではダンボールにビニールを敷き、その上に捏ね終えた餅を
流し込み固まらせ、1、2月に渡っていただきます。
お餅もパンのように用途が広く、いつ食べても飽きがこない好物の一つです。


この三日間は、以前は部屋を暗くして実修を行っておりましたが、
明かりをつけて行ったためか、いつもと違った安心感を覚えました。
ただ、環境が心に及ぼす影響が思いのほか大きく驚いております。

仙境異聞

2004-12-24 23:49:02 | Weblog
私の住む町はよく揶揄される。
先だって上司と話をしていた時も「特殊な時間が流れている。」と言われた。
阪神方面に住む叔母がやってきた時も「ここは日本じゃないから、
ずっと住んでいたら取り残されるわよ。」と注意された。

両親の友人が尋ねてきて開口一番、
「この町の人達はみんな口を半分あけている。」と驚いて言ったので、
僕は慌てて口を閉じた。

父に聞いた話だが、葬儀の参列者で直接首にネクタイを巻いている人を、
複数見かけたらしい。
確かに、ここら辺では官公庁の関係者以外、スーツを着ている人は滅多に見ない。
だが着る習慣が無いとはいえ、さすがに…と思っていたが、私も二人ほど見た記憶が
あったような…

最初聞いたときは笑っていたが、自分自身に考えが及んでくるに連れ、
何だか徐々に恐ろしくなってきた。

ここはもはや仙境なのだろうか…

今日の実修では、昨日よりも心に安定感を感じ、追えた後は
清清しい気分になりました。


変容

2004-12-23 22:59:17 | Weblog
聖書を読んだとき、その言葉の格調高さ、美しさに感動したのを覚えている。
興奮が冷めやらぬ内に書写したこともある。

翻って日本の宗教に触れたとき、その方言が文章化されたものに、
大きな衝撃を受けた。
思えばキリストや釈尊も、その地方の方言で教化してゆかれたのだが、
それに気付かず標準語の翻訳に親しんでいた自分は、まさに目から鱗が
落ちる思いであった。

確かに方言には格調高さを感じない。どちらかと言えば土臭いものを感じた。
だが、語られている言葉は素朴で力強さを帯び、畏敬の念を起こさせる。
流麗さはないが滋味にあふれ、心の中で何度も反復したくなる。

ただ、古人の糟粕という言葉が示す通り、書物に記された言葉は
必ずしも発した本人の真意を伝えるとは限らない。
しかし記録したものが無ければ教えは広まらない。
ここに宗教が持つ避けられない変容がある。

二つ目は、訳されるに従いイメージが変質してゆくことだ。
これが先に挙げた方言や、あるいは他国語においても、人の手を経ることに
より、また変わってゆく。

現在の私たちの手に渡るまでにいくつもの変容があったのだろう。
手を加えられ、言葉の意味が、大きく乖離したものもあるだろう。
今となっては知ることは出来ない。
遅まきながらそう気付いたのだが、では現代の私がそこから
何を学べるかといえば、結局は自分の琴線に触れたものを学び、
自身の中で深めてゆくしかないのだろう。

昨日の実修におきましては、特に変わりはございませんでしたが、
今日の実修後は心に安定感を感じました。

整理

2004-12-22 00:00:25 | Weblog
年末に向け、少しずつ部屋の整理をしております。
本が多少かさ張ってきたため、思いのほか片付けに手間取り、
気が付けばかなり時間が経っておりました。

昨日、今の実修はいつもと変わることなく終えました。
以前と比べて気持ち程度ですが、雑念が減ったように感じます。

忘年会

2004-12-19 23:21:16 | Weblog
忘年会に行っておりました。
とても楽しい会になったのですが、気が付いたのは先輩方の気遣いでした。
誰かが音頭を取り、周りが盛り上げ進行させて行く。

人間的にも素晴らしい方が多く、自分には未だ真似が出来ませんが、
とても良い収穫がありました。
改めて体験する、というのは一番の勉強だと思い考えさせられました。

今日と昨日の実修は、自覚はございませんが何か心に引っかかっていた
ものが取れたように思え、終えた後に充実したものを感じました。

2004-12-17 23:55:22 | Weblog
久しぶりに猪鍋をいただいた。
冬の時期の楽しみなのだが、豚肉に比べ臭みがあり、
一度鍋でアク抜きをしなければ食べられない。
一度煮れば、アクと共に肉汁まで出てしまいそうなのだが、
これがもう一度、野菜と一緒に煮付けることにより、
野趣に富んだ味わいを醸し出す。

けれど好き嫌いがはっきりと出るものらしく、私の知り合いは
美味しくないと言う。
確かに普段食べなれている牛や豚肉の方が美味しいのだが、
これはこれで良いと思う…のだが私自身も成人するまで食べられなかった。
今は平気になったのだが、あの皮についた毛がどうしても気になってしまうからだ。
慣れるまでは誰でも気になるらしい。

この三日間の実修では、気を入れ直して行ったためか、
今日は特に充実したものを感じました。

礼拝

2004-12-14 23:40:35 | Weblog
神事の基礎知識という本を購入した。
神棚に礼拝を捧げても、独り善がりになってしまっいると感じたためだ。
御餞を供え二拝二拍手をし、天津祝詞奉唱後に祈念、一礼で終わる、
というのが私が行っている礼拝だが、
この本で、神棚に捧げる祝詞というものがあるのを初めて知った。
他にも、お供えの仕方などいろいろと勉強になっている。

昨日と今日の実修は、特に変わりは無くいつもと同じでございました。


掃除

2004-12-12 23:52:43 | Weblog
今日は、部屋の掃除などしておりました。
昔の通信簿や、卒業証書や教科書など意外なものが
たくさん出てきて、少しだけ見るつもりだったのが、
気付けば長い時間が経っており、後かたずけに手間取ってしまいました。

昔を思い出せば赤面するような思い出ばかりが出てくるので
何ともいえない複雑な気持ちになります。

昨日、今日と実習後はいつもと変わりませんでしたが、
実修前に産土様始め、神様に祈ることで気持ちが引き締まるのを感じました。