庵建築計画事務所 森 豊のブログ

これまでの軌跡、思考。
日常の思いをつづります。

その10 表千家の不審庵 

2009-04-06 20:00:39 | 作品例「組み立て式草庵茶室」

村田珠光は草庵茶室について

「藁屋ニ名馬ヲ繋ギタルガヨシ、

 然レバ即チ、

 粗相ナル座敷ニ名物置キタルガ好シ。

 風鉢ナホ以ッテ面白キ也」

と書き残しています。

侘び茶の精神は、それが行われる茶室及びその導入部分の

露地が一番表しているのではないでしょうか。

 

これは表千家の不審庵の露地の写真です。

外露地から中くぐりをへて内露地に入る行程は、

世間の喧騒を避け、侘びの世界に入って行く

アプローチとして構成されています。

利休は

樫の葉の

もみじぬからに散りつもる 

     奥山里の道のさみしさ」

山家集の歌を理想として挙げています。

 

 


その9 茶道という精神文化

2009-04-03 00:54:41 | 作品例「組み立て式草庵茶室」

茶道という精神文化は、

その行われる茶室がハレの舞台であり、

その茶室の変遷が、

侘び茶の精神の変遷にもなるとすれば、

その茶室に侘びの精神が

すべて集約されていると考えることができると思います。

 

そこで、次回は有名な現存する茶室を写真でご紹介いたします。


その8 ロシア人のコメント

2009-04-03 00:43:27 | 作品例「組み立て式草庵茶室」

日本の文化、特に日本の美が世界で稀有な文化であると云っているのが、

15年前に、源氏物語のロシア語完訳全5巻を著わした

ロシア人のタチャーナ・リボブナ、デリューシナ(当時47歳)が、

日本とロシア文学の差について、次のように語っています。

 「源氏物語」は世界の古典の中でも比類がない。

とても11世紀の作品とは思わない。

特に、「もののあわれ」という感覚は示唆に富む。

 ロシアは表面の美を見ますが、日本では、物の奥の美を見る。

 これはとても重要なことです。


その7 茶の心の代表的な歌

2009-04-03 00:23:19 | 作品例「組み立て式草庵茶室」

日本の茶の湯は、村田珠光や武野紹鴎そして千利休によって大成された

わけですが、この三人が三人とも、ある歌を茶の心の代表的なものだ

というようなことを言っております。

 

その一首が新古今和歌集の中、藤原定家の

「見渡せば花も紅葉もなかりけり 

  浦の苫屋の秋の夕暮れ

という歌です。

 

この意味はまず、見えている風景は、浦の苫屋の秋の夕暮れなわけですから、

まったく何もない浜辺です。

苫屋というのは網をなって、そこにちょっと干してあるような粗末な小屋です。

だから定家が見たものは、そこに何もない浜辺です。

なのに見渡せば花も紅葉もなかりけり と云ったわけです。

 

何も咲いていない紅葉もない、まして春の花の桜と秋の紅葉が

同時にある訳もないのに。

しかし定家は何もない浜辺にあえて花と紅葉を創造さらせ、

そこから引き算をさせたのです。

 

読み手は残像として花と紅葉が残っています。

これが日本の美の深さでしょう。

 

未完の美」とか「引き算の美」とか云われ、

負の創造力によって美を創る手法です。

 

藤原定家↓ウィキペディアより参照下さい

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E5%AE%B6


その6   みやび  をへて  侘び

2009-03-20 20:28:10 | 作品例「組み立て式草庵茶室」

↑金閣寺

↑銀閣寺

義政の生活は贅をつくした「みやび」の生活だったと考えられます。

しかし、それは心までは満たしてくれません。

その「みやび」にあきた義政は、その「みやび」の奥というか 裏というか、

それを乗り越えたところの「侘び」の世界へと誘われていったと思います。

卑近な話ですが、毎日が宴会やパーティーで会席料理やフランス料理が続くと

食傷気味になり、漬物に茶漬けか白いご飯を食べたいと

つくづく思ってくるものです。

そのとき初めて茶漬けや白いご飯がこんなにうまいものか

改めてしらされますが、それに似たようなことだと思います。

 

そして、義政は晩年、諸芸能に耽るなか、持仏をまつり、読書をする東求堂の

四畳半の(同仁斎)に炉を切り、それが最初の四畳半茶室とも云われています。

 

欧米人は金閣寺を絶賛いたしますが、銀閣寺はいまひとつのようです。

 世阿弥の言葉で「表の華は目に映り、秘すれば心に通ず」とか、

また、老子の「大功は拙なるが如し」という事でしょうか。

 

注:室町時代の画家で相国寺の禅僧「如拙」は水墨画の先駆をなす画家でして、

老子の言葉を雅号にしました。

 

注::鎌倉・室町時代は大陸文化から日本の純粋文化になる時代でして、

今まで述べています茶の湯、華道の池坊専応、能の観阿弥・世阿弥

水墨画の周文・雪舟・狩野正信、浄瑠璃(江戸時代に竹本義太夫)

禅宗の栄西・道元等が活躍し、大きく日本文化が発展、

熟成し、今日の日本文化の基礎となっています。