茶道という精神文化は、
その行われる茶室がハレの舞台であり、
その茶室の変遷が、
侘び茶の精神の変遷にもなるとすれば、
その茶室に侘びの精神が
すべて集約されていると考えることができると思います。
そこで、次回は有名な現存する茶室を写真でご紹介いたします。
日本の茶の湯は、村田珠光や武野紹鴎そして千利休によって大成された
わけですが、この三人が三人とも、ある歌を茶の心の代表的なものだ
というようなことを言っております。
その一首が新古今和歌集の中、藤原定家の
「見渡せば花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の秋の夕暮れ」
という歌です。
この意味はまず、見えている風景は、浦の苫屋の秋の夕暮れなわけですから、
まったく何もない浜辺です。
苫屋というのは網をなって、そこにちょっと干してあるような粗末な小屋です。
だから定家が見たものは、そこに何もない浜辺です。
なのに見渡せば花も紅葉もなかりけり と云ったわけです。
何も咲いていない紅葉もない、まして春の花の桜と秋の紅葉が
同時にある訳もないのに。
しかし定家は何もない浜辺にあえて花と紅葉を創造さらせ、
そこから引き算をさせたのです。
読み手は残像として花と紅葉が残っています。
これが日本の美の深さでしょう。
「未完の美」とか「引き算の美」とか云われ、
負の創造力によって美を創る手法です。
藤原定家↓ウィキペディアより参照下さい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E5%AE%B6
↑金閣寺
↑銀閣寺
義政の生活は贅をつくした「みやび」の生活だったと考えられます。
しかし、それは心までは満たしてくれません。
その「みやび」にあきた義政は、その「みやび」の奥というか 裏というか、
それを乗り越えたところの「侘び」の世界へと誘われていったと思います。
卑近な話ですが、毎日が宴会やパーティーで会席料理やフランス料理が続くと
食傷気味になり、漬物に茶漬けか白いご飯を食べたいと
つくづく思ってくるものです。
そのとき初めて茶漬けや白いご飯がこんなにうまいものか
改めてしらされますが、それに似たようなことだと思います。
そして、義政は晩年、諸芸能に耽るなか、持仏をまつり、読書をする東求堂の
四畳半の(同仁斎)に炉を切り、それが最初の四畳半茶室とも云われています。
欧米人は金閣寺を絶賛いたしますが、銀閣寺はいまひとつのようです。
世阿弥の言葉で「表の華は目に映り、秘すれば心に通ず」とか、
また、老子の「大功は拙なるが如し」という事でしょうか。
注:室町時代の画家で相国寺の禅僧「如拙」は水墨画の先駆をなす画家でして、
老子の言葉を雅号にしました。
注::鎌倉・室町時代は大陸文化から日本の純粋文化になる時代でして、
今まで述べています茶の湯、華道の池坊専応、能の観阿弥・世阿弥
水墨画の周文・雪舟・狩野正信、浄瑠璃(江戸時代に竹本義太夫)
禅宗の栄西・道元等が活躍し、大きく日本文化が発展、
熟成し、今日の日本文化の基礎となっています。