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かめにっき おきば

むかしの記録、少しだけ今

一世一代の 5 一般病棟へ

2024年07月06日 | 日記
6/1からはICUに新人看護師さんが入ってきた(このために前日大点検があったのかな)。担当してくれたのだけどやっぱりあらゆることが慣れておらず、でも一生懸命なことは伝わってくるのでこちらも清拭や着替えの時はできる限りやりやすいように身体を動かしたりタイミングを計ったりしてお手伝い。終わった後は少し自信がついたみたいで良かった。日勤の女の子は顔つきがしっかりしていてICU看護師っぽかった(偏見)けど、夜勤担当だった男の子は何ともほんわりした雰囲気の、対応ものんびり癒し系な感じで、一般病棟のほうが合いそうだと思った。ICUやオペ室の看護師って人事の配属次第で決まるようなものじゃない…んだよね多分?専門的だしきっとより体育会系でハードだろうし。なんにせよ医療関係者になろうという志自体がヌルい環境に浸り切った無気力人生を送る自分には尊すぎるし凄すぎる。

相変わらず対面のモニターを注視しアラート回避のため右腕の位置を必死に固定しつつ、酷い咳き込み、血痰にほとんど声が出ない状態のまま、ICU最終日は個室移動になった。スタッフステーションから離れてようやくアラートの恐怖から解放された!暇だったのでICUでは無料で見られるテレビを見ていた。テレビの先には見知った日常が続いていて、相変わらず大谷の話題ばかりだった。
最終日を担当してくれた看護師さんは思わずさすがプロフェッショナルと口に出したくなるような(本当は言いたかったけど咄嗟に声が出ず)テキパキ対応、溌剌とした雰囲気の感じの良い方で、忙しいだろうに笑顔で雑談しながら時間をかけて髪を梳かしてくれまた髪型を整えてくれた。こんな手術を受けると思っていなかったから退院後に美容院へ行くつもりで長くなっているうえ、もちろん手術日からまったく髪も洗えておらず、この頃から枕にも皮脂や汗の臭いがして自分でも嫌だったくらいなのに。

6/3に一般病棟へ移動になった。午前中の検査へ行っている間にすっかり荷物が片付いて移動用車椅子が用意されていた。一般病棟なのでようやくスマホが使えるようになり、ICUの楽しみだった氷がなくなってショックを受けた。
そういえばずっと腰痛と左肩の痛みにも苦しんでいた。腰痛対策は初回手術の経験を生かしてあれこれお願いし初期から湿布も貼ってもらっていたけど痛いものは痛い。整形外科を受診したら術前後のレントゲンを見ても骨に異常はない、筋肉の衰えだと言われて苦笑。筋肉って本当にすぐダメになるんだな。左肩の痛みは萎んだ左肺が関係しているように思う、当初は手術の体勢のせいかと思っていた(多分これもある)。
一般病棟移動2日目に事件があった。ようやくシャワーを浴びられるようになったものの、てっきり介助があるのかと思いきや、担当のパワフルな看護師が明るくも有無を言わせない口調でシャワーもリハビリだから1人で入ろうね!私、あなたならできると思うなー!うん、できる!と。できないよと思いながら仕方なく1人で入ることに。この時に初めて鏡越しに傷の全貌を見た、それどころじゃなかったのもありさほどショックはなかった。
シャワーは最悪だった。蒸気で気管支がさらに刺激され激しい咳き込みが止まらなくなり、この咳で体力が奪われ、苦しさに息も荒くなり、腰の痛みが激しく、椅子に座っても立っても腰を曲げても痛みが変わらず半泣きで身体を洗った。極狭なシャワー室でナースコールを押したところで手伝ってもらえるわけもないし洗いたい気持ちもあって、苦しい中で必死に洗髪した。
なんとか終えるもそこで限界に。ようやく扉を開けたらあまりに時間がかかっているのを心配したママが待っており、憔悴ぶりに驚いて身体を拭こうとしてくれるも、完全に体力が尽きているためまともに座ることもできず大変だった。這々の体でなんとか着替えまで済ませても今度はドライヤーが待っている。もちろんこんな状態で髪は乾かせない、もう何もできないのに、様子を見に来たチャキチャキ看護師が一言、部屋で乾かしてもいいけど部屋までは歩いて帰ろうね!できるよ!リハビリなんだからやらなきゃだめだよ!どんどん歩かなきゃ!と。体力を使い果たして洗面所に突っ伏している、ICUから昨日帰ってきたばかりの患者に今それを言うか。リハビリだからと言われてもそもそも立てない。なんとか無理だと押し通して、というか看護師を無視して車椅子で部屋まで帰った。飲水制限もありシャワー前にお茶を飲んでいかなかったのも良くなかったのかもしれないけどとにかく苦しいシャワー復帰になった。
結局この後は肺に水(排出されていたのは真っ赤な液体で水だったの。?)が溜まっているとかで胸腔ドレナージされまたしばらく清拭生活になり、また入れるようになるまで1週間くらいかかったと思う。今度は日によって身体だけの日と髪の日と分け、腰の痛みと相談して段階的に進めるようにしてうまくシャワー復帰できた。

前日のシャワーがあまりに酷い体験だったこと、咳き込みが悪化しており苦しいことを伝えたく、翌日リハビリさんとうしくんにスマホメモを見せた。声が出ず話そうとすると咳き込んでしまうため長く話せないから心の訴えは筆記するしかない。昨日の看護師はリハビリさんがどんどん歩かせるようにって言ってたよ!とのことで不信感が生まれていたのだけど、リハビリさんはシャワーリハビリのつもりはなかったらしい。うしくんも咳き込みに対してネブライザーを指示してくれ、呼吸器内科の受診でブデホル吸入が始まった(うしくんはできる優男なので最初メモを見せた時にメモアプリのデザイン(かわいいやつ)を見てまず「かわいいね」と。本当に理系男子?)。この時、診察室に貼られていた自分の肺のレントゲンを見た、左肺が真っ白なことに驚く。少しずつ良くなってきていると聞いていたけどこの時点ではどう見ても全体が真っ白だった。

耳鼻科も受診した。術前から外耳道炎気味だったバイタルイヤの左耳の状態が良くないこと、耳垢が溜まっていること、気道の過敏、声が出ないことを訴えたかったのが、鼻も耳もあるのと女医に面倒そうな対応をされた。左耳は手術で排出液や点滴が入ったり出たりしたせいか、水の中にいるような聞こえ方になったりメリメリと音がしたり聞こえるようになったりまた聞こえづらくなったりと不安定な状態だった。が、それも治療されたかどうかは…月1で行っている耳鼻科の先生のほうが遥かに優しくて丁寧だ。総合病院の医師であるこの私に耳掃除させるなんて、と思われたのかな。

声が出ないことについて。片鼻ずつスコープを入れられて両側声帯の動きを見た結果、左側の声帯の動きが悪いといわれた。脂肪注入したり手術することになればこの病院ではできませんと言われる。反回神経麻痺!人工血管置換手術の合併症のひとつ。この時は動きが悪いイコール少しは動いている、時間経過で良くなっていくのかとか、抜管の刺激の影響もあるとか思っていたけど、電子カルテには普通に左側声帯麻痺(固定?とかなんとか)と書かれていた。神経を切ったわけではないらしいけど術後1ヶ月半の今でも嗄声のまま、文字通りに蚊の鳴くような声か嗄れ声しか出ず、こんな声ではとてもじゃないけど社会復帰できない。術後に行きたかったところにもいけないし治る気配もない。どうなるんだろうこれ。
女医にふいに行きつけの耳鼻科名を聞かれたので答えたところ、ではそこから手術できる病院を紹介してもらってください、うちでは無理なので!と言われて診察終了。対応が冷たい。今回他科をいくつか受診することになったけど、主治医やうしくんのようなじっくり患者と向き合う姿勢のありそうな医者はおらず、むしろ経験的にもそういう医者のほうが圧倒的に多く一般的なのだろうけど、主治医やうしくんに慣れた私には突き放されたように感じた。一見の患者としっかり向き合う医師なんかいないか、忙しいしね。
結局嗄声は改善されることもあるのでひとまず様子見で、治療法みたいなものもなくただ日常の会話で声を出すことがリハビリ、いつまでも治らなければ主治医の紹介病院で声帯手術になるらしい。治る気は…しない。手術もしたくないけど。

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