私たちの人生は
長生きすることがテーマなのではありません。
生きている間にどう喜ばれるか、だけです。
喜ばれることだけをやっていれば
神仏が支援の側にまわる可能性がある。
限られた条件のもとで
たとえば病院のベッドの上にいても
お見舞いに来てくれた人に
不機嫌にならずに笑顔で穏やかに応対して
その人をホッと安心させて帰ってもらうことができたら
それだけで喜ばれたということです。
そういう一瞬一瞬の積み重ねをやっていけば
それ以外のことは考えなくてよいらしいのです。
ある一点について問題をどうにかしよう、とか
ある人に好かれたい、とか
この商品を営業努力によって売りたい
と思って努力するよりも
神や宇宙を味方にして今この瞬間を生きていくことのほうが
実は早道なのかもしれません。
【人の心に灯をともす】http://merumo.ne.jp/00564226.html より
相手に喜ばれない存在は
「不平不満」
「愚痴」
「泣き言」
「悪口」
「文句」を言う人。
そして、この状態が続きさらにエスカレートすると
「恨み」
「憎しみ」
「呪い」となる
と正観さんは言う。
その反対の喜ばれる存在は
「ツイてる」
「うれしい、楽しい」
「感謝」
「幸せ」
「ありがとう」
「ゆるします」
という言葉をいつも言っている人。
これは斉藤一人さんがいう
家庭も職場も明るく、楽しくなる
「天国言葉」
単なる人数合わせで頼まれるようなことは断ってもいいが
それ以外の頼まれごとは進んで引き受けた方がいい。
どうせ引き受けるなら
ニコニコ笑って引き受けるか
文句をいいながら引き受けるかは大事な問題だ。
人に喜ばれる人生を歩みたい。