大変、お待たせ申しました
では、今からまた飛騨翠さんに幽体で?来ていただき、先日ここで話題にしました京都の御所西側の蛤御門前~護王神社近辺に、昔ちょっと住んでいたそうですので、その頃の景色について、描写をお願いいたします
その区域が釈迦が予言した、未来に弥勒の現れる場所、「鶏頭城」を指すのではないか、
そして予言通り、ミロクの生まれ変わりの翠さんは、その場所に現れたのではないか、というのが私の説です (「扁桃 その1365」の説明を参照)
翠、白い服装でやって来て正座する:遅くなりました…申し訳ありません
では、早速話して参ります……
私は子供でしたから、ずいぶん昔になりますが、その近辺に数年間だけ住んでいたことがあります…
周辺は静かな住宅街で、 (木造が多かったですが) 落ち着いた雰囲気がありました
今でもその感じをある程度残していると思います
何しろ、京都の中心の南北の大通り(烏丸通り)のある所ですが、東側が全面、広い御所に面している所ですので、西側もにぎやかな商店街になりようがない
向かいの御所にふさわしい閑静な住宅地としての役割を、求められているようなのです
…私が覚えているのは昔は烏丸通りに市電 (チンチン電車と言っていました) が、路面を走っており、停留所は石造りの細長い台でした……そこに立って待つのです……
市電の屋根には折り畳み式のパンタグラフがあり、それを上に長く張られている電線に接触させて電気を取るのです
たまに、そこから火花が散っていました
市電がなくなると、地下鉄にとってかわりました
この区域の住民には地下鉄の駅まで遠いので不便だということで、烏丸通りを北上するバスが1本だけ、追加されました
その停留所は護王神社の前にあったと思います…
護王神社は私の遊び場で、家から歩いて行ける距離でしたので、連れてもらい、境内にある建物の周りを走ったりしていました
昔は神社の北側の東西の通り(烏丸通りにぶつかる、下長者町通り)に面した所に、神社所属の浅い用水路がありましたが水はありませんでした
短い石橋を渡って門から境内に入れたと思います (今も水路があるかはわかりません)
正門は東側で今話したのは北側の門です
ここの神社は言い伝えにある通り、沢山の猪達が窮地の和気清麻呂公を救ったということで、狛犬の代わりに一対の狛猪がいます…それが特徴的です
夜は外回りの塀に古風な明かりが幾つも並んで灯り、なんだかほっとする雰囲気です
…現在の護王神社はたまに行きますが、和気清麻呂様の立像が新築されたり、建物が増えたり、
入り口に大きな石の球の置き物が置かれたり、(軸があり、手で回転させられる縁起物)
だいぶにぎやかになりました
そして、寄付されたとても沢山の猪の置物などが、隅のショーケースに所狭しと並べられています
聞くところによると、近年はお正月の催しに2匹の猪を呼んできて、芸をさせるとのことです
コロナ下なので、最近はどうなのか知りませんが
ともあれ、護王神社は私にはなくてはならない場所で、憩いと楽しさがありました
その他に遊び場として御所にもたびたび連れてもらいました…
御所についての描写は、先日こちらでさせていただきました…
わし:ご苦労
もう遅いので、続きは今度にしましょう
翠:すみません……ではお休みなさい
(表紙の写真は翠さんが持っているマグネットで、御所と護王神社、それぞれを描いた品です
偶然、冷蔵庫に2つ共並べて張って使っているのに気づいたそうです w)
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