はじめに…
あくまでも個人の見解なので
反論はご遠慮下さい
を 知ったのは
数年前の学生時代
裁判に関する授業でのこと。
キャンディ世代の母にマンガを持っているか聞いたら
キャンディとテリィのNYの別れが辛くて
それ以来封印した…と
フリマアプリは高値過ぎて買えず
図書館に行ったところ
全て置いてありました
マンガ
↓
復刻版小説
↓
ファイナルストーリー
の順で読みました
まず
マンガの印象
テリィとはやむを得ず別れてしまったけど
丘の上の王子さま&ウィリアム大おじさまの正体が分かって終わる
少女の成長物語
復刻版小説
マンガとほぼ変わらないが
ちょっとアルバートさんと良い雰囲気
この先アルバートさんと幸せに暮らすことを匂わせているように感じる
ファイナルストーリー(FS)
これを読んだ時の衝撃と言ったらなかった…
だってテリィと幸せに暮らしているんだもん
あのひと と、代名詞で書かれていたけど
すぐ分かった!
原作者先生が仰るには
FSはマンガの続きではありません
なので、あのひとは
このFSだけで考える必要がありますよね
小説文の読解は
自分の感想や主観は抜きにする
感情移入しない
言葉の裏にはその物語で使われるための意味がある
文章の中で明確に心情表現が書かれている箇所を探し解答の根拠を探す
文章に書いてあること以外の
「一般的な常識や知識」などを
極力排除し
文章中に書かれている事柄だけを解答に繋げる
「一般的な常識や知識」などを
極力排除し
文章中に書かれている事柄だけを解答に繋げる
この事を踏まえ
あのひとは誰か?の問の答えは
間違いなくテリィ
大学の友達数人で回し読みしたけど
全員の答えは一緒だった
ちなみにその中の一人は
塾で国語教師のバイトをしていたしね
完璧な考察が他にも多くありましたので
読んで気付いた点を少しだけ…
最初に決定打から
ロンドンでアメリカへ旅立つテリィを
馬車で追いかけるシーン
「どうか間に合いますように
わたしまだあのひとに」
で、テリィに対して使っている
答えここに書いてあるじゃん👍
アルバートさんに対しては使っている記述なし
他には
★あのひとと暮らす家にある
シェークスピア全集
テリィ
スコットランドの別荘にあった
アルバートさん
持っているの記述はない
経営学から法律まで…と書いてあるので
文中にこれらに関係する本があると書かれているはず
★あのひと と暮らす家の庭に咲いている
満開のラッパ水仙
テリィは学院でラッパ水仙のつぼみの匂いを嗅いでいた
アルバートさんとの絡みは一切なし
ちなみに小説では
水仙は学院でも登場しない
敢えて入れ込んだんですね
★あのひとの家に代々伝わる象嵌細工の宝石箱
グランチェスター家先祖代々の
の厳しい肖像画
アードレー家の先祖たちの肖像画
★アメリカに戻るまでの旅で起こった出来事を話したとき
あのひとは、よく無事だったときつく抱きしめた
キャンディからテリィへの
出せなかった手紙で
あなたを追ってイギリスから帰ってきた時の冒険談
いつかゆっくり話したいと思っているうちに結局、話せませんでした
と書かれている
アルバートさんには
何でも話せた、アニーに言えなかったことも全部
と書いてあるので
冒険談もすでに話していると取れる
★生きてさえいればまた巡り合うことができるのだ
だから、わたしはもう、別れを怖れない
ロンドンでテリィが乗っている船を見送っている時
生きていれば…私たち…きっと
ここの回収だと思われるので
テリィとのことですね
★キャンディが好き❤の描写
テリィは
そばかすが好きなんだ
愛したひとは大切にする
生涯かけて幸せにする
その相手を見つけたのだ
と言っている
ここで
テリィもキャンディに対して
ひと
とかな表記での対句の表現
極めつけは
ぼくは何も変わっていない
それだけは伝えておきたかった
ですよ…
これ最高の愛の告白ですよね❤️
対して
アルバートさん
どんなに感謝しても、し尽くせない
きみの幸せがどこにあるか見極めたい
→好きの表現ではない
これは(日記)きみの大切なものだから
と窓の外を見つめて静かな声で…
恋愛感情の記述がどこかにあれば
テリィのことを早く忘れて自分に気持ちを向けて欲しい…ということなんでしょうが
養父・養女が強調されているので
まだテリィのことが忘れらないのかと
単に養父として案じているように取れます
★キャンディから好きの描写
テリィに対しては
テリィが好き
とっても、とっても好き
アンソニーの時とは違って
もっと熱く胸が焦げそう
その他にも何ヶ所か
「好き」
と愛の言葉が書かれている
アルバートさんに対しては
感謝し尽くせないのは私の方です
今が私の幸せです
→恋愛関係になっていない今の状況も含まれている
「感謝」が強調されているんですよ
うーん
往復書簡には愛する人に対しての記述が一つもない
先生もキャンディからアルバートさんへは
感謝の気持ち
と、仰っていましたね
★手紙の時系列
あのひとを曖昧にするために
バラバラらしいですが
エピローグの
アルバートさんとの往復書簡
アンソニーへの手紙
読んでいて、この2つは
テリィからの手紙の後だと
不自然さがありました。
恐らく本編のどこかに差し込まれるんですよ
(ちなみにこれも友人たちと意見は一緒)
先生が仰っている時系列ではないのはこれらですね
テリィからの手紙がこの小説の最後の回顧
そして空白のページ
★復刻版小説→FSへの変更点
全編通して
キャンディとテリィの
ラブラブ度が増している
キャンディとアルバートさんの
未来を予想させる文章は
全てカット
キャンディから
スザナへ
読者へ
宛てたテリィとの復縁はないを
匂わせる手紙もカット
アニーからの
テリィを諦めないで
という内容の手紙が追加されている。
アルバートさんとの往復書簡の文末
心より愛をこめて
↓
愛と感謝をこめて
と変更されている
まだまだ沢山変更されていて
復刻版小説と比較するとあのひとが
テリィに向かって加筆・修正されているのが一目瞭然でした
あのひと=アルバートさん
の裏付けとなる根拠を探したけど
一つも見つからなかった
強いて言えば
見えない糸…かな
でも絶対的な根拠とは言えない
赤い糸じゃないし
そもそもFSが出た意味ですよ
アルバートさんとの幸せの結末なら以前に出版された小説で十分じゃないですか
それにあのひとがアルバートさんなら
アルバートさんの登場回数が少なすぎませんか?
だって真実の愛(恋愛)の物語でしょう?
お互いの恋愛感情の描写がないのに、あのひとと言うのは…
しっくりこない
これは主観です
FSだけを読んで普通に読解していくと
あのひと=テリィ
なんですよね
これは間違いない
ただ
アルバートさん推しの方にしてみれば複雑ですよね
以前に出版された小説では、キャンディとの未来を匂わせておいて
何年か後に
テリィとの幸せな結末に
変更されちゃったんだもん
だから先生も
夢を壊したくないから
あのひとを曖昧にしたってことですよね
でも
どうしてこう変わったのか?
それは原作者先生が
これが私の書きたかった世界なのだろうか
心残りのないように
全面的に書き直す
マンガ絵と決別した
曲がり角の向こうには
何が待っているか分からない。
恐れずに突き進んでいけば…
と後書きに書いている
なるほどね…
なるほどね…
あの裁判がきっかけで
マンガ家先生と別の道へ進んだ結果なのかな
マンガはテリィだけ不幸なまま終わってしまったしね
それでもあのひと=テリィじゃないと思う人のレビューをチラッと見ましたが
感情移入している
マンガでのエピソードをそのままFSに繋げている
という印象ですね…
例えば
日曜大工の得意なアルバートさんなら額縁も オルゴールの修理も出来そう
→日曜大工が得意とはFSには書いてありません
FSは先生からテリィファンへのサービスにすぎない
→これが意味不明なのですが…
テリィファンに気を遣い
2人は幸せになったと見せかけて
初志貫徹、実はあのひとはアルバートさんですよって事かな?
もしそうだとしたら
この内容はサービスの限度を超えていると思いますよ
それに、やっとテリィファンの心の傷が癒えてきた頃に
それに、やっとテリィファンの心の傷が癒えてきた頃に
FSの出版によってそのキズに塩を塗る
そんな事する?
やっと2人が結ばれる物語を執筆する決心がついたんじゃないのかな
個人的な見解です
ただ人それぞれ
イメージで楽しんで読んでも良いので
あのひと は、テリィ以外でも可のようです
あのマンガのNYの別れ…あれはないわ
大人になって読んでもこんなに辛くてかわいそうなのに
子供だったら受け入れられないよ
FSでキャンディとテリィは
幸せに暮らしているよ
と母に伝えたら
そもそも
どんなストーリーだったっけ?と…
母みたいに別れが辛すぎて封印してしまった小中学生
いっぱいいたんだろうなぁ
残念ですよね…
やっぱり読者が小中学生だから
夢を与えないとね
残念ですよね…
やっぱり読者が小中学生だから
夢を与えないとね
出来れば連載当時の最終回でも続編でも良いから2人が幸せになっていたら
母みたいな人はいなかった気もする…
でも愛し合っていた
キャンディとテリィが
色々あったけど
最後に結ばれたことは
本当に良かったんじゃないかな
と思う今日この頃です
最後に結ばれたことは
本当に良かったんじゃないかな
と思う今日この頃です