「如何にして真の道にかなひなむ、
千歳のうちに一日なりとも」 (良寛和尚)
*江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。
良寛和尚は、「一日でもいい、仏法に叶った生活がしたい。
どの様にすればいいのだろうか」 と自省しています。
良寛和尚の生涯は、誰が見ても 「仏法に叶った生活」 に
しか見えないはずです。
良寛和尚が 究極的に行きつこうとした処は、
いったい何処だったのでしょうか?
辞世と言われている句に、
「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」 があります。
まず 「裏を見せ」 と書き出したところに深い意味が
ある様な気がしています。
「裏」 とは 「こころの裏」 なのでしょうか。
そして 「表」 を見せて散っていく………
また、もう一つの辞世の句と言われるものに
「散る桜 残る桜も 散る桜」があります。
これは、良寛和尚が重病になったとき、何か心残りはないかと
聞かれ、「死にたくない」と答え、この句を詠んだとのことです。
「死にたくない」との俗な言葉は、まだ仏道を究めていないので
「死ぬ訳にはいかない、死にたくない」と言う意味なのでしょう。
凡夫の「死にたくない」とは根本的な違いがあります。
凡夫は、一日でもいいから「贅沢がしたい」、「女性にもてたい」、
「金儲けがしたい」 などと考えているのとは、大違いです。
私は、まさにこの凡夫です。
夏祓 忘れし傘のひとつあり
2020.07.01 moai291