ファンネル とは、煙突のことです。
「二引き」とは、煙突に描かれた 日本郵船 のマークです。
横浜港に係留保存されている「氷川丸」の煙突には、白地に赤い2本線が描かれています。
「氷川丸」も現役時代は、日本郵船の所有船だったのです。
「白地に赤の2本線」は、「二引き」と呼ばれる 日本郵船のマークです。
日本の客船の中で、一番豪華だと言われている「飛鳥」の煙突にも「二引き」のマークがあります。
「飛鳥」は、日本郵船が、満を持して設立した 豪華客船クルーズを専門に運営する子会社だからです。
かつて、日本郵船は、数多くの豪華客船を所有しておりました。
「浅間丸」「秩父丸」「新田丸」「氷川丸」「平安丸」「日枝丸」など。。。。
そのほとんどが、戦没しました。
海軍病院船として大戦を活躍し、生き残った「氷川丸」は、戦後、戦前に繁栄を極めたシアトル航路に復帰いたします。
日本郵船にとって、大戦を生き抜いて、再びシアトル航路に復帰した氷川丸が、最後の客船事業となりました。
やがて、客船から飛行機の時代へと、急速に旅客輸送は取って代わられ、1960年(昭和35年)10月、太平洋を238回横断して、延べ25,000人余の乗客を運んで「氷川丸」は引退しました。
「氷川丸」の引退と同時に、日本郵船は、華やかだった客船事業から、すべて撤退したのでした。
時は移り、平成の時代となり、バブルに沸いた日本に、再び 客船クルーズをと 日本郵船が誕生させたのが豪華客船「飛鳥」です。
外国の超大型豪華客船と比べると小さい「飛鳥」ですが、その中身は、見劣りなど決してないそうです。
日本郵船の豪華客船が、七つの海を行き交う光景は、もはや過去のものとなりましたが、現在では、工業国日本の主要輸出品を載せて、七つの海を航海しています。
「二引き」のマークは、世界で通用するのです。
画像は、名古屋港に入港中の自動車運搬船。
(妻の撮影)
「NYK」の文字と、ファンネルには「二引き」のマーク。
「二引き」とは、煙突に描かれた 日本郵船 のマークです。
横浜港に係留保存されている「氷川丸」の煙突には、白地に赤い2本線が描かれています。
「氷川丸」も現役時代は、日本郵船の所有船だったのです。
「白地に赤の2本線」は、「二引き」と呼ばれる 日本郵船のマークです。
日本の客船の中で、一番豪華だと言われている「飛鳥」の煙突にも「二引き」のマークがあります。
「飛鳥」は、日本郵船が、満を持して設立した 豪華客船クルーズを専門に運営する子会社だからです。
かつて、日本郵船は、数多くの豪華客船を所有しておりました。
「浅間丸」「秩父丸」「新田丸」「氷川丸」「平安丸」「日枝丸」など。。。。
そのほとんどが、戦没しました。
海軍病院船として大戦を活躍し、生き残った「氷川丸」は、戦後、戦前に繁栄を極めたシアトル航路に復帰いたします。
日本郵船にとって、大戦を生き抜いて、再びシアトル航路に復帰した氷川丸が、最後の客船事業となりました。
やがて、客船から飛行機の時代へと、急速に旅客輸送は取って代わられ、1960年(昭和35年)10月、太平洋を238回横断して、延べ25,000人余の乗客を運んで「氷川丸」は引退しました。
「氷川丸」の引退と同時に、日本郵船は、華やかだった客船事業から、すべて撤退したのでした。
時は移り、平成の時代となり、バブルに沸いた日本に、再び 客船クルーズをと 日本郵船が誕生させたのが豪華客船「飛鳥」です。
外国の超大型豪華客船と比べると小さい「飛鳥」ですが、その中身は、見劣りなど決してないそうです。
日本郵船の豪華客船が、七つの海を行き交う光景は、もはや過去のものとなりましたが、現在では、工業国日本の主要輸出品を載せて、七つの海を航海しています。
「二引き」のマークは、世界で通用するのです。
画像は、名古屋港に入港中の自動車運搬船。
(妻の撮影)
「NYK」の文字と、ファンネルには「二引き」のマーク。