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にゃんだふるわーるど

今川と徳川の狭間



駿府城の三の丸の南角、通っていた学校の前に葵文庫(図書館)があり、徳川の時代は駿府城代屋敷がありました
歴史文化会館を建設しようと掘ったところ、今川時代から本能寺の変前後の頃(1580年代)の屋敷跡と道路が発掘されました。




 巽櫓     母校
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遺跡道路の先、ピンクのP建物のあたりが桶狭間直前まで松平元康さんと瀬名姫、長男の信康の屋敷
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奥(左)が今川時代の重臣の屋敷跡、
手前(右)が家康さんが駿府に戻って最初に駿府城を建設しようとした頃の1580年台で、その後の江戸時代の城代屋敷跡にさまれた道幅ですが2.7mと細いため、当時の東海道とは違うとのこと
駿府城代屋敷の下からは豊臣秀吉さんの重臣で武将中村一氏が築城した最初の駿府城天主から出土した金箔の瓦と同じものが多数出土、ただしこちらの金箔は塗る場所が豊臣とはちょっと違うとのことで、織田徳川とも違うらしく謎





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市役所          県庁西館   県庁東館       巽櫓
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