四季の歌

日々の生活で思ったことを綴ります

私を苦しめた人達の人生行路!!

2007-02-27 09:47:34 | Weblog
幼い頃から自分は「他の子と違っている」と思った事はないが正夢は良く見た

少女期になると昼寝をしている時に体全体を締め付けられるような「金縛り」に遭って「息が出来ない、もうすぐ死ぬ死ぬ」と足掻きをしながらようやく目覚める事が良くあった。

それと何かは分らないが朝起きると別に悲しい事も無いのに泣いたかのように毎日のように「枕が濡れていた」がそれが何だか未だに知る由もないが・・・

夢は殆どカラーで一番よく見た夢は色々な「UFO」の競演でそれが夜空一杯にキラキラと輝いて本当に美しかった
それに夢の中では「危機一髪の時」は「ヒョイ」と空を飛んで逃れられるので夢を見ても朝の目覚めは爽快だった。

空を飛ぶ夢をよく見ると人に話しをしたら「男になりたい願望がある」と言われたがもし生まれ変わるとしたら「上品な美人で字の上手な女に生まれ替わりたい」と常に思っているが・・・大人の男の人からは「男なら良かったのに」とよく言われたものだった。

本来、女の友達よりも男の友達の方がよく気が合った。
私には一切恋愛感情が無く一緒に居てもとても気が楽な男友達が結婚しても何人かいるが勿論、奥様共々のお付き合いだ
何より女友達特有の嫉妬羨望が無いのが気楽の源だ

ただ母は私が「普通の子」とは違うと思っているらしく事ある度に「霊感の修行に行って来たら」と言うのが口癖だった。

何故なら私を苦しめた人達が必ず何らかの「因果応報」と言うものを受けてしまうのを知って言うのだが・・・。

特に心臓の悪かった父が時々「プチ入院」をした時、体の具合が悪い私にはに知らせては来ないのに入院したその日に殆ど私が病院に辿りつきビックリされたことが何度かあり・・・母にはそう感じるのだと思う。

どうにもならない位に体の具合が悪くても何故かどうしても寝ていられない衝動に駆られ青い顔をして実家に行くと家は戸閉で妹の勤め先を訪ねても「留守」だったりすると暗勘が働きまっしぐらに病院に行くと妹の車が病院の駐車場に停めてあり父の部屋にたどり着くのでビックリ(@_@;)してしまうのだ。

長女とは波長が合うのか電話を掛け合っていることが多いし長女が高校生の時にパーマをかけた日に限って一時間余の下宿先を訪ねていたり他の子達も「母は千里眼の様で気持ちが悪い」とよく言われた。

幼い頃から結婚するまで一緒に住んでいた叔母に「お前は弟や妹と違って頭も器量も悪いから◎家の出来そこないでいつ死んでも誰も泣かん」と言われて育ったので小さい頃は自分でも劣等感の塊の陰気な子だと思ったくらいだ。

しかし他人からは「家柄よく頭脳明晰で性格が明るくて利発な子」とかよく言われたが事実、弟や妹は頭も器量もいいので自分はそんな認識はなかったが他人からは良く褒められたり貧乏なので駄賃も良く貰った

高校生の頃、父に他地の事務所に連れて行かれると「とてもお利口なお子さんですね」とか「良い性格の子」だと褒められるので父は気が良いのか交通事情も良くなかったのに2時間余の事務所によく連れて行ってくれて結婚するまでは人から諌められた事はまずなかった。

ところが急に結婚が決まりまず最初に他所から移ってきた叔母がくれた結婚祝いの包み紙がくしゃくしゃで「何かあるなぁ」と思いつつ丁寧に開けると包み紙の裏に「アホ、バカ、タヌキ」と一番下の5歳位の娘に書かせたようで人形の絵も描いてあった。

その4年後に父の養母が亡くなった通夜の夜に幼い女の子の泣く声が聞こえたので長女が起きたのかもと走って見に行くと長女はすやすやと寝ていたが開いている筈のない襖が少し開いていたので胸騒ぎがして駆け寄ると生後半年の次女が布団に寝ていない「すわ、誘拐か」と思ったら布団の上方の壁際に俯せに寝かされていた

一月の霙雪がちらちら降るような寒い日だったし次女は生後半年だったが良く寝る子で買い物に背負って出掛けた事が無かったので「不具の子を産んだ」と思われていた位でその為に寝返りが出来なかったのは犯人の大きな誤算だった。

もし寝返りが出来ていたりずり上がったり出来る子だったら多分次女が「自分で布団からはみ出た」と考えただろうが寝凝っていて揺すっても暫く泣かなかったので「死んでる」と思って泣きながらほっぺを叩くとビックリして大声で泣いたのでホッとしたのだった

犯人は次女を俯せにしてから暫く様子を見ていたのだろうと思う・・・子供の泣き声ですぐ駆けつけたのに顔の平面には畳の筋がくっきりと付いていた

悪い事は出来ないもので幼い女の子がいるのは私以外「くしゃくしゃ」包み紙の落書き結婚祝いをくれた叔母だけで夜伽は次々に人が来るが着いたばかりの従姉が「今、街中を小さい娘が泣いているのに引きずるようにして走っていた」と言うので確信したのだった。

滅多に怒らない父が烈火の如く怒り「警察に願ってやる」と言ったがそれは「親族の恥と私の立場が悪くなるだけだから」と懇願して止めたがそれから4~5年次女はちょっとした風邪でも高熱をだし「慢性気管支炎」を患い地元の医院では治らず二時間余掛かる病院に通う羽目になった。

それからその身内の長男は結婚して僅か一日目で「嫌だ」と言いだし一か月後に離婚したがたった一夜で子供が出来てしまったが親権は認めなかったし後妻を貰ったが「何の因果か」幸せそうだったのに子供にの恵まれず早々にその妻と死別してしまった。
次男も二人の娘を授かりながら離婚し再婚して3人の子に恵まれながら二度目の離婚をした。

私の結婚祝いに落書きをさせられた末娘も一子を産んで離婚して癌になったと聞いた。

「親の因果は子に報い」と言うが離婚だけに留まらず長女と末娘は「癌」になった。
私はもう過ぎたなのでいつまでも身内を憎んでも「皆が幸せになれない」と思い故郷に帰ったその「悪戯身内」に年賀状を書くときに「こちらに来たときは寄って下さい」と書き添えた。

父や私が許すまでは実家の敷居を跨ぐ事は出来なかったのだから余程、来たかったのか実家に寄り母も歓待してご馳走をしてやったら「とても喜んで帰っていった」と聞きその身内も自分の罪が許されたようなものだから「いい冥土の土産が出来た」と思うが子供達に因果が巡ってしまったのだから本当に罪な事をしたものだ。

昭和40年代の始めの頃に家にご飯を食べに来る人が3人いたが一人はそれで浮いたお金を「天理教」に寄付をしたそうだが後の二人は夕ご飯を食べていった上に「ちょこっとのお金」を貸してくれと言いながらせびっていったが「ちょこっとなのは返さない」つもりで借りるのだから始末が悪い。

私達も姑から「米の三倍が生活費だ」と言われ給与はもっと頂いていたが生活費は姑から2万5千円と決められ「米半俵が5千円だから1万円がおかず代で5千円が主人の小遣いで5千円貯金しなさい」と言われたが好き嫌いの多い主人の弁当代はお金が掛かる上に3人が代わる代わる食べに来てお金をせびっていくので私達親子は実家のおかず作りをする代りに昼夜は実家で食事をしていた

その一人は妻帯者だったが奥さんが双子を出産した時に「弛緩」を起こしたので又の妊娠の時に「病院で診て貰うように再三再四注意したが病院に連れて行かずに家で出産した為に子供は助かり奥さんは元気そうな方だったのに出産後すぐに亡くなった。
再婚して男の子が生まれたが「幸せではない」といい酒びたりになり何故か近くの旅館で裸のままに亡くなっていた。

もう一人は独身で結婚式の日に主人が行けないので私が子育ての忙しい中で着物を着て出席し帰り際に「お幸せに」と言ったら「奥さんに来てほしくなかった」と招待者が沢山いる中で言われて心底傷着ついた。
しかし二人の女の子をを授かったが離婚し家は火事になり借金して私家の近くに自動車を隠すなどしている内に原因は知る由もないが若いのに亡くなってしまった。

また私の友達の酒屋で酒ばかり飲んでいる従業員さんに出くわしたので「つまみを食べながら飲まないと体を壊すよ」と忠告したら「悪態」をつかれそこにいた人の中で大恥をかいたがその人も間もなく車に轢かれた訳でもないのに道路で倒れ亡くなっていた。

大掃除に来てくれる女の従業員さんが本当に意地悪で「有ること無い事」を私に聞かせ「体が貧弱だ」とまで言われて苦しんだ。

確かに長女を出産して姑、義姉妹にいびられて体を壊し40㌔までになってしまった。

結婚する前には身長こそ低いがそれでも均整は取れていて私の夢は青春の記念に「篠山紀信に綺麗な体を撮って貰いたい」と思った位に自慢だった体も痩せ細ってしまったがそこまで他人に言われる筋合も無い。
はっきり言って今でいう「アラ還」近くなのに20代だった私に何が悔しくてか「頭に来る」ことばかり言うのだ

主人にあの人は「寄こさないで欲しい」と言っても聞いてくれず私は耐えきれずに暫く長女だけ人に預けて10日ばかり「家出」をした位だ。

それから何年か経って出張現場で働いていた時に船の甲板で昼食をしていて主人がお茶を飲んでふと見たらその私を苦しめた女従業員の姿が見えないので探したら「船と岸壁の間に挟まれて亡くなっていた」と言う。

食事中の事なので労災にはならず主人も「何であんな事故が起こったのか分らん(?_?)神隠しに遭ったような気持ちだ」と言っていたが今でもその人の私に対する悪態は忘れられない。

家の大掃除に来てくれる以外に滅多に会う事もないし30歳位離れているのにそんな私に対してなんで悪態をつかねばならなかったのか亡くなって30年以上経っているが未だに意味が分らない

ある時、主人の叔父に当たる人が怒った声で私に「出てこい」と言うので「口調」は親族良く似ているのでまさか怒られるなんて夢にも思わずに言われた場所に行くと「お前は俺の母親に肩たたきを買ってくれたが俺が買う甲斐性が無いと思って買ったのか」と

恐ろしい顔で怒られビビったが主人の祖母が遊びに来て「肩が凝る」と言うのでその当時「肩たたきの電化製品」は本当に高く生活費の三分の一位したが滅多に会わないし何もしてやる事も出来ないので「清水の舞台から飛び降りるような気持ち」で主人の祖母への好意で買ったのだがそれを怒られたので義叔父に近寄らないようにしていたがその翌々年、義叔父は突然に労災で亡くなった。

何で私を苦しめたりする人が自然死でなく突然死するのか私には分らないがまだまだ続くのだから母や妹が「何かある」と思うのも一理あるかも知れない。