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思わぬ所で高槻が繋がりました!
(
yukariko
)
2010-12-28 11:33:48
実家が伏見といっても下鳥羽辺りは生活圏とは違うので『へぇ~?』と思って読みましたが、後の永井直清(高槻藩主)の碑で繋がったのでびっくり。
確かに先には長岡藩主なら川向うの鳥羽も待宵侍従の鐘のある宝積寺・碑文のある島本も領内でしょうから故事に親しまれたお殿様なのが分かります。
高槻の能因法師の墓や伊勢寺・伊勢姫廟堂の顕彰もこの方の功績なのですね。
こういう歴史好きなお殿様や僧侶・好事家等が伝えられた伝承を守って下さったからこそ今私達がちゃんとした史跡として見る事が出来るのですね。
この永井氏ですが徳川家康に仕える時に平氏・長田氏→永井氏に改姓したと書いて下さいましたから(ここで源義朝に関係が出てきましたね)
高槻の磐手杜神社の伝承のお話に出てくる「老臣長田(家老かな?)」は元は一族だった重臣かもしれませんね(笑)
高槻市のHPから引用させて頂きました。
『磐手杜神社の夜啼き石』
磐手森神社の境内の右にドーンと構えるようにしてあるのか、この石。
その昔、高槻城の老臣・長田という。権勢を誇ったものが参詣の折、この奇岩に目を付けて持って帰り、庭に置いたところ毎夜啼いた。「あま(安満)へいのう~」「あま(安満)へいのう~」と・・・。それで長田の殿様は、これを元の所へ返した。これ以来、この石は「夜啼き石」と呼ばれる
よくお気付きになりましたね!
(
sakura
)
2010-12-30 18:57:33
磐手杜神社の氏子さんとして、ご家族が祭礼にも参加、yukarikoさんも何かにつけて磐手杜神社にはお参りされているので夜啼き石の説明板の長田の文字にピンとこられたのですね。今年、私は磐手公民館の帰りに春の馬祭や秋にも一度お参りしたのですが、境内の説明板の長田氏のことはすっかり忘れていました。仰るように老臣長田氏は永井氏の一族かもしれませんね。源氏の子孫と称している家康が、湯殿で先祖をだまし討ちにした長田忠致の末裔を召抱えているとなると、何かと都合の悪いこともあったのでしょう。
高槻藩主永井直清の文化面の功績は顕彰碑を建てただけでなく、直清は能楽にも造詣が深く14歳で秀忠に小姓として仕えていた時代に金春流の秘伝をすべて伝承したといわれ、プロを凌ぐ活躍をし、三代将軍家光の時代に江戸城二の丸の舞台で能を舞っています。家来たちにも能楽を嗜むよう指示し寛文年間は高槻藩の能の黄金時代、その後も野見神社の能舞台にて数多くの演目が催され、高槻は昭和の初め頃までは能楽の盛んな地域だったようです。
今年も面倒な記事をお読みいただいて沢山のコメントをありがとうございました。
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確かに先には長岡藩主なら川向うの鳥羽も待宵侍従の鐘のある宝積寺・碑文のある島本も領内でしょうから故事に親しまれたお殿様なのが分かります。
高槻の能因法師の墓や伊勢寺・伊勢姫廟堂の顕彰もこの方の功績なのですね。
こういう歴史好きなお殿様や僧侶・好事家等が伝えられた伝承を守って下さったからこそ今私達がちゃんとした史跡として見る事が出来るのですね。
この永井氏ですが徳川家康に仕える時に平氏・長田氏→永井氏に改姓したと書いて下さいましたから(ここで源義朝に関係が出てきましたね)
高槻の磐手杜神社の伝承のお話に出てくる「老臣長田(家老かな?)」は元は一族だった重臣かもしれませんね(笑)
高槻市のHPから引用させて頂きました。
『磐手杜神社の夜啼き石』
磐手森神社の境内の右にドーンと構えるようにしてあるのか、この石。
その昔、高槻城の老臣・長田という。権勢を誇ったものが参詣の折、この奇岩に目を付けて持って帰り、庭に置いたところ毎夜啼いた。「あま(安満)へいのう~」「あま(安満)へいのう~」と・・・。それで長田の殿様は、これを元の所へ返した。これ以来、この石は「夜啼き石」と呼ばれる
高槻藩主永井直清の文化面の功績は顕彰碑を建てただけでなく、直清は能楽にも造詣が深く14歳で秀忠に小姓として仕えていた時代に金春流の秘伝をすべて伝承したといわれ、プロを凌ぐ活躍をし、三代将軍家光の時代に江戸城二の丸の舞台で能を舞っています。家来たちにも能楽を嗜むよう指示し寛文年間は高槻藩の能の黄金時代、その後も野見神社の能舞台にて数多くの演目が催され、高槻は昭和の初め頃までは能楽の盛んな地域だったようです。
今年も面倒な記事をお読みいただいて沢山のコメントをありがとうございました。