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醍醐寺のお庭で「藤戸石」をみましたが…
(
yukariko
)
2015-11-13 17:33:15
謡曲「藤戸石」で有名な石を醍醐寺で見ましたが、確かに立派な石でしたが、漁夫の殺害現場にあったとされる石がなぜか「天下の名石」として語り継がれるのか分かりませんでした。
下調べをして浅瀬を探った佐々木盛綱が知恵を褒められ先陣の手柄に所領を与えられたのにあやかりたいから?
藤戸海峡の海底が広大な田園になっているお写真を見せて貰いましたが、物語の古戦場を思う人にとっては感慨がひとしおでしょうね。
浮洲岩跡
(
sakura
)
2015-11-14 09:12:41
謡曲「藤戸」が語る漁師の亡き骸が流れ着いたという
浮洲岩(藤戸石)の跡地には、説明の石碑がたっています。
そこには京に運ばれて藤戸石と呼ばれた大きな岩と
その両側に小さな岩が刻まれています。
この岩が阿弥陀三尊をあらわすとされること、
佐々木盛綱が藤戸合戦で源氏軍を勝利に導いていることなどから、
武家社会では勝ち戦の象徴として、天下の名石となり
珍重されたのではないかと思います。
醍醐寺の三宝院は撮影禁止ですから、この藤戸石を次回ご紹介させていただきます。
自分の出世の為に人を殺める
(
自閑
)
2015-11-14 11:50:06
いつもながら詳細な御紹介ですね。
佐々木盛綱の藤戸は読んでいましたが、藤戸、児島が倉敷にあるのは知りませんでした。今は陸地に成っているのですね。
自分の出世の為に、味方に浅瀬の場所の情報を教える事を防ぐため、漁民を殺害。弟の高綱もライバルの梶原景季を騙して一番乗りを果たす。
一所懸命とは言え、哀れな事と思いました。
地元のホテルもきちっと源平合戦の跡地を紹介出来る。故郷を愛するがゆえかと存じます。京都では出来ないですね。平家物語すら読んだ事が無い平家縁の観光地が多々ありましたから。
観光課
(
sakura
)
2015-11-15 08:59:45
倉敷といっても美観地区しか知らないので、
水島古戦場めぐりの時もそうでしたが、今回も現地までのアクセスなどを
倉敷市の観光課にメールで尋ねました。
ほとんどが源氏方だったように思いますが、
「平家物語」には、はかりごと、騙し討ちがいろいろな場面に数多く描かれ、
敵ばかりでなく味方まで欺く武士の姿が見えます。
謡曲「藤戸」は自閑さまもご紹介しておられるのでよくご存知ですが、
漁夫の亡霊や漁夫の老母が登場して、盛綱に恨み言を述べ、
戦さの陰で犠牲となった人々の哀しみを訴えかけています。
しかし「平家物語」の作者は特に批判的な言葉をいっさい述べず、
盛綱の手柄話として語っています。
今の感覚ですと自分の出世のために人を殺めるという行為は哀れで卑劣なことですが、
当時の武士の社会では、騙したりはかりごとを用いて
敵を討ったり味方を欺くことは、それほど強い非難の
対象とはならなかったのかとも思われますが如何でしょうか。
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下調べをして浅瀬を探った佐々木盛綱が知恵を褒められ先陣の手柄に所領を与えられたのにあやかりたいから?
藤戸海峡の海底が広大な田園になっているお写真を見せて貰いましたが、物語の古戦場を思う人にとっては感慨がひとしおでしょうね。
浮洲岩(藤戸石)の跡地には、説明の石碑がたっています。
そこには京に運ばれて藤戸石と呼ばれた大きな岩と
その両側に小さな岩が刻まれています。
この岩が阿弥陀三尊をあらわすとされること、
佐々木盛綱が藤戸合戦で源氏軍を勝利に導いていることなどから、
武家社会では勝ち戦の象徴として、天下の名石となり
珍重されたのではないかと思います。
醍醐寺の三宝院は撮影禁止ですから、この藤戸石を次回ご紹介させていただきます。
佐々木盛綱の藤戸は読んでいましたが、藤戸、児島が倉敷にあるのは知りませんでした。今は陸地に成っているのですね。
自分の出世の為に、味方に浅瀬の場所の情報を教える事を防ぐため、漁民を殺害。弟の高綱もライバルの梶原景季を騙して一番乗りを果たす。
一所懸命とは言え、哀れな事と思いました。
地元のホテルもきちっと源平合戦の跡地を紹介出来る。故郷を愛するがゆえかと存じます。京都では出来ないですね。平家物語すら読んだ事が無い平家縁の観光地が多々ありましたから。
水島古戦場めぐりの時もそうでしたが、今回も現地までのアクセスなどを
倉敷市の観光課にメールで尋ねました。
ほとんどが源氏方だったように思いますが、
「平家物語」には、はかりごと、騙し討ちがいろいろな場面に数多く描かれ、
敵ばかりでなく味方まで欺く武士の姿が見えます。
謡曲「藤戸」は自閑さまもご紹介しておられるのでよくご存知ですが、
漁夫の亡霊や漁夫の老母が登場して、盛綱に恨み言を述べ、
戦さの陰で犠牲となった人々の哀しみを訴えかけています。
しかし「平家物語」の作者は特に批判的な言葉をいっさい述べず、
盛綱の手柄話として語っています。
今の感覚ですと自分の出世のために人を殺めるという行為は哀れで卑劣なことですが、
当時の武士の社会では、騙したりはかりごとを用いて
敵を討ったり味方を欺くことは、それほど強い非難の
対象とはならなかったのかとも思われますが如何でしょうか。