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血筋と養育者の勢力によって先が変わりますね。 (yukariko)
2012-04-23 10:31:32
皇子でも生母の血統、後援者の勢力によって宣下される位が違う世の中で普通の親子というような気持ちはあまりなかったと思うのですが…やはり先にそれも続いてはかなくなられたら、淋しく思われたのでしょうか?
義仲も育てた後援者の思惑として、血統からいえば源氏の一方の旗頭として充分やって行けると思ったのでしょう。
のちに頼朝がその母方の後援と情報によって嫡流としての勢いを増すとともに義仲との争いは避けられないものだったのですね。
 
 
 
平家物語は語られ書写されたので… (sakura)
2012-04-24 12:38:38
後白河の第一皇子二条天皇は「政道にはかなひ給へれど、
孝道には大いに背けり。」と世間で云われたように後白河が二条に譲位すると
天皇と院の対立が表面化します。この父子が仲が悪かったという
エピソードが多く残されています。後白河が二条天皇が崩御されて
さみしく思われたという辺りは琵琶法師が語る際、調べを良くするための
平家物語独特の装飾過剰の美文かも知れません。

木曽で挙兵した義仲は、東国は頼朝が固めているため、北に向かい
越後の城一族の大軍と戦い大勝利して武名を轟かせます。
しかし自分が主導権を握るためには弟たちも平気で殺すような頼朝が
この義仲を放っておきません。当時の義仲には頼朝と戦う戦力がないため
長男義高を人質として差出し頼朝との衝突を避けます。
越後から越中そして都に入った義仲は父義賢と同様に源氏一門の抗争の中で命を落とします。

 
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