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春の湊の行く末や (自閑)
2015-11-20 08:31:10
sakura様
藤戸の古戦場とその後の詳細を拝見し、大変勉強になりなました。
下醍醐は、人の少ない年末と桜の時期の雨の降った日を選んで参詣いたしましたが、藤戸岩は見逃しており、その岩が銘石で藤戸から運んだなどとは全く知りませんでした。感謝申し上げます。
ふと、情景写真から年に一度藤戸の湊が現れるのではと思いました。全て干拓されたと言う事なら、田植え前なら田んぼには全て水で満たされますもの。

拙句
もののふの春のゆくすゑ田植かな
 
 
 
素晴らしい想像力に感心いたしました。 (sakura)
2015-11-20 15:09:53
藤戸寺のある県道沿いには、お店や住宅が並んでいますが、
そこから西へ行くと広い田園地帯です。
田植えで水が張られると海のようになるはずです。
俳句は感性が豊かでないと読めませんね。
 
 
 
「藤戸寺」の由来とその後を読んで (yukariko)
2015-11-21 12:42:40
盛綱が古刹の荒廃した堂宇を修復、栄えるも戦乱で灰燼に帰し、その後岡山藩が再興し今に至る…という藤戸寺の栄枯盛衰と現在のお寺の様子、浮洲岩の碑と藤戸海峡の現在の写真を詳しく見せて頂けてありがたいです。

また先に書かれた「自閑さまのコメント」を読ませて頂き、その景色から古を想像する感性の素晴らしさにびっくりしながら、同じように想像させて頂きました。
 
 
 
yukarikoさま (sakura)
2015-11-23 07:51:18
自分の備忘録程度のブログを訪問し、毎回読んでくださるので本当に嬉しいです。
ブログ更新の張り合いとなっています。
またよろしくお願いいたします。
 
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