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この時代の僧というのは知識持っているだけではなかったのですね。 (yukariko)
2014-09-08 23:21:04
お山にこもり経典を研究したり、ひたすら修行をするだけではなく、中国にもわたり、異国の新知識を習得、舎利殿建立に関わり土木技術を習得。
陳和卿(ちんなけい)の起用や宋朝建築様式の採用など具体的な知識を活かして、建築や土木技術の知識、技術者などの人脈、念仏集団の組織力などを買われて任命されれば、そのすべてを結集し、見事に復興事業を完成させる。
そういう総合的な人材が集まるところが歴史の中の高野山や東大寺といった宗教組織…現代の研究所や大学の学究達と同じものだったのでしょうか。
 
 
 
都に国営の大学がありました。 (sakura)
2014-09-09 14:24:54
大学の入学資格は原則として五位以上の貴族の子弟であり、
現実的な栄達を望む上流貴族の若者はそこで勉学に励みました。
一方、奈良時代に朝廷の保護を受けて花開いた仏教も学問的な色彩を色濃くもっていました。
しかし平安時代の仏教界には、世俗界と同様に出自による上下関係があり、
上級の僧侶は貴族同様の豪華な暮らしをしていました。
贅沢な生活をしながら経典を研究し、現実を直視しようとしない学侶たち。
当時の仏教は、国家鎮護・天皇や貴族の安寧を願うもので、
庶民の心を救うものではなかったのです。
 
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