コメント
 
 
 
名もない落ち武者の墓を地域の人々が大切に守ってこられたのですね。 (yukariko)
2019-10-07 17:51:44
地元では人々に対する尊崇の念がずっと絶えずに続いているのですね。
また、松風村雨堂やその碑などを守ってこられた方々にとっては、池や松、観音堂は、はるか昔から謡曲などで伝わる物語によってより一層大事な遺物なのでしょう。
 
 
 
平氏軍はかつてないほどの戦死者を出しました (sakura)
2019-10-08 16:30:51
前途を悲観して自害した者もいたのでしょう。
その墓碑にこの地の人々が交代で水や花をお供えされているようです。
また松風村雨の墓は、この土地の所有者でもある
かつての村長のご子孫が守っておられるそうです。

謡曲「松風」は、宮廷歌人在原行平が須磨に流された時、
松風村雨を愛した話や百人一首の行平の和歌などを題材としています。

この作品は、「汐汲」という能を観阿弥が「松風村雨」という曲に改作し、
世阿弥がさらに手を入れた曲です。

「源氏物語」に描かれた光源氏の須磨退去の物語は、
行平流謫(るたく)を下敷きに書かれたとされています。



 
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