コメント
 
 
 
とても有名なお話ですね。 (yukariko)
2007-08-01 16:48:39
嵯峨野を訪ねると修学旅行生の一群とよく遭遇します。
後からの客が中に入れないほど、小さな庵に大勢でその上聞こえるのは無関係な話ばかり。落柿舎や祇王寺もそうでした。
古典に興味が出てから訪ねれば興味が湧くだろうに…と思いながら早々に去りました(笑)
それで記憶も薄いままでしたから写真と詳しい説明で追体験させて頂けてありがたいです。
往生院跡地の話、らしくない祇王寺本堂の話、仏御前とその子の話など感心して読みました。

また、近江平野の水路「祇大井川」の話は清盛が血筋と武力と資金力だけで上り詰めたのでなく、実際に政策を施していた例として…現在の写真ですごく納得しました。

北垣京都府知事は琵琶湖の水を第一・第二疎水として京都市内に引き込み、水力発電、水運などに利用するべく大工事を計画・実施・苦難を乗り越えて明治23年に完成させています。
だから茶室を本堂として寄贈されたのは単なる哀話への感動ではなく、鎌倉時代に掘られた水路が後世の人々にまで恩恵を与えているのを知っての感動ではないかしら…とそれこそ勝手に想像して一人盛り上がってしまいました。
 
 
 
大事業の立役者は北垣知事でした! (sakura)
2007-08-02 16:57:17
インクラインの所に田辺朔朗の像があるので
疎水は田辺朔朗と思い込んでいましたが、
影に北垣知事がいらっしゃったのですね。
いろいろな事が結びついてとても面白いです。
コメントを読ませていただいて私も成るほどと
頷いてしまいました。

私も始めて祇王寺を訪ねたのは紅葉の季節でしたが
お喋りばかりしていたような気がして
yukarikoさんからのコメントは
ちょっと耳が痛い!

野洲は宗盛親子が切られているので訪ねるつもりです。
その時祇大井川、野洲の祇王寺も訪ねてきます。

清盛は平家物語の中では少し悪く語られ過ぎている面があるので、 次回嫡男重盛の所で少し弁解させていただきます。

いつもコメントありがとうございます。
 
 
 
私も久し振りの友人と雑談ばかりですが(笑) (yukariko)
2007-08-02 21:28:13
偉そうな事を書きましたが、講義を聴いては訪ねられるsakuraさんに較べ、私達もお互いの近況を報告しあう合間にお寺の故事・来歴の話をする程度です。
それでも長い間には大まかな歴史認識が形作られてきます。

でも関心のある人を除いて、一般の学生への旅行前の簡単な説明だけでは、単に古いお寺を見た!印象しか残らないだろうなとその時に思ったのです。
(グループ学習で掘り下げれば別ですが、勿体ない事に物見遊山旅だから。)

こうして読ませて頂くと、それまでの知識と京都の各地がするすると繋がってゆく実感がありとても楽しいです。
私は清盛びいきなので次回に期待します。
 
 
 
清盛は平家一門の没落を描くために多少誇張されて書かれています。 (sakura)
2007-08-03 17:14:13
鳥辺野近くの不吉な六波羅の地に一門の邸を建てたのも、清盛の開放的な性格のためでしょうし、
いくら義理の母池野禅尼の懇願、嫡子重盛の頼みがあったとはいえ、頼朝を助けたり…
牛若、常盤etcしかり

後源頼朝が非情なまでに平氏の残党狩りを
するのに比べたら清盛は何か憎めない面も持っています。

祇王、祇女、仏御前も見方を変えれば
「遊び女だから仕方がないのじゃないの」
と書いてある解説書もあったりして、
私は一人で面白がっています。
 
 
 
歩きました (駿)
2007-08-03 18:55:58
 今春、落柿舎、去来の墓へ詣でて祇王寺へ参りました。

♪奥嵯峨に別れの翳り風かほる  駿
 
 
 
すてき! (とまと)
2007-08-05 09:27:30
皆さんの、お話しには恥ずかしながら、まったくついていけませんが、

写真がすごく素敵ですね。

特に、1枚目の写真が気に入りました。
あんないいところを見つけ、カメラに収める事が出来るsakuraさんてすてき!
 
 
 
とまとさんへ (sakura)
2007-08-05 14:11:03
祇王寺は苔がとてもきれいでした。
何枚も撮影した中のたった一枚です。 
最初は写真に説明をつける程度のブログの
つもりだったのに… 

だんだん自分自身が面白くなって
結構のめり込んでいます。  
ごめんね!
コメントありがとうございました。


 
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