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天皇の御陵
(
揚羽蝶
)
2016-08-20 20:41:55
歴代天皇の御陵は、古代を除いてはほとんど京都近郊にありますが、京都を離れたところでは、崇徳天皇の、
白峯陵。下関の、我々の安徳天皇の阿彌陀寺陵ですが、当時より地元の人から尊敬され、愛され大事にしていただいています。ありがたいことだと思います。
2週間も水浸けされて血は流れない
(
自閑
)
2016-08-20 20:59:36
sakura様
崇徳院が崩御してから2週間水浸けにされた御遺体から血は流れない。
しかし、突然の雷雨と血が流れた為に、既に怨霊伝説がここから始まっていますね。
久保田教授の全評釈を読まれたとのこと。この本は高いので、1冊しか持っておりません。いつか退職金でと思う次第です。同じく久保田教授の角川ソフィア文庫はベットの横に常備?しております。
拙句
たまの床寝ぬ熱帯夜にはひんやりと
(難しい本は、私の睡眠薬です。)
揚羽蝶さま
(
sakura
)
2016-08-21 11:12:05
阿彌陀寺は神仏分離令により廃されましたが、
赤間宮が創建され、今は赤間神宮となり多くの参拝者を集めています。
「先帝祭」のときなど、参拝客の列の長さに驚きました。
後白河院が重病に陥ると、安徳天皇の祟りと恐れられ、
御霊を鎮める御影堂が建立されたようですね。
自閑さま
(
sakura
)
2016-08-21 11:17:09
江戸時代になって伝承が増えていきました。
「怨霊とは何か」の中で、山田雄司氏は
「綾北問尋抄」の作者はこの本をまとめるにあたって、
古老に物語を尋ねてまわっているが、その際、真贋とりまぜた
伝承が入り込むことになったのであろう。とし、
青海神社について、崇徳院を荼毘に付した際に、煙が下りてきたので、
「煙の宮」とよばれるようになったと記す一方、
「血の宮」とよばれる高家神社については、
お棺を置いた石があることを記しているが、
まだ「血」に関する伝承は記されていない。
もっと後になって作られた伝承であろう。」と書いておられます。
久保田教授の全評釈は図書館で読みました。専門書は高価ですね。
後世の歴史学者(愛好家)が付け加えて行った伝説が多いのではないかと。
(
yukariko
)
2016-08-23 15:26:16
お棺を置いた石に血が流れたとか、煙が上に上がらなかったとかの記述を古い言い伝えに見つけた歴史家は鬼の首を捕ったように喜んで自分の本に書き加えた事でしょう。
勿論不思議な事があったかもしれないけれど、その事象を勝手に怨霊と結びつけて話す人がなかったとは…。
学問として研究してこられた偉い先生たちと違い、伝説好きな庶民からすれば登場人物も第一級の人物ばかりで絶好の怨霊話(笑)色々ありそうです。
幼いまま亡くなられた安徳帝とは違い、至高の位に上られた人とは思えない苦悩の46年を送られた崇徳帝が後世の帝にきちんと祀られて穏やかになっておられればいいなあと思います。
伝説のすべてを信じるわけにはいきませんが…
(
sakura
)
2016-08-24 13:33:52
嘘か本当かわからないような話が、まことしやかに
今日まで伝えられているのは、
かつて天皇であった方が罪人として流され、
許されないまま配所で亡くなった悲劇に、
村人が心から同情しているのだと思います。
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白峯陵。下関の、我々の安徳天皇の阿彌陀寺陵ですが、当時より地元の人から尊敬され、愛され大事にしていただいています。ありがたいことだと思います。
崇徳院が崩御してから2週間水浸けにされた御遺体から血は流れない。
しかし、突然の雷雨と血が流れた為に、既に怨霊伝説がここから始まっていますね。
久保田教授の全評釈を読まれたとのこと。この本は高いので、1冊しか持っておりません。いつか退職金でと思う次第です。同じく久保田教授の角川ソフィア文庫はベットの横に常備?しております。
拙句
たまの床寝ぬ熱帯夜にはひんやりと
(難しい本は、私の睡眠薬です。)
赤間宮が創建され、今は赤間神宮となり多くの参拝者を集めています。
「先帝祭」のときなど、参拝客の列の長さに驚きました。
後白河院が重病に陥ると、安徳天皇の祟りと恐れられ、
御霊を鎮める御影堂が建立されたようですね。
「怨霊とは何か」の中で、山田雄司氏は
「綾北問尋抄」の作者はこの本をまとめるにあたって、
古老に物語を尋ねてまわっているが、その際、真贋とりまぜた
伝承が入り込むことになったのであろう。とし、
青海神社について、崇徳院を荼毘に付した際に、煙が下りてきたので、
「煙の宮」とよばれるようになったと記す一方、
「血の宮」とよばれる高家神社については、
お棺を置いた石があることを記しているが、
まだ「血」に関する伝承は記されていない。
もっと後になって作られた伝承であろう。」と書いておられます。
久保田教授の全評釈は図書館で読みました。専門書は高価ですね。
勿論不思議な事があったかもしれないけれど、その事象を勝手に怨霊と結びつけて話す人がなかったとは…。
学問として研究してこられた偉い先生たちと違い、伝説好きな庶民からすれば登場人物も第一級の人物ばかりで絶好の怨霊話(笑)色々ありそうです。
幼いまま亡くなられた安徳帝とは違い、至高の位に上られた人とは思えない苦悩の46年を送られた崇徳帝が後世の帝にきちんと祀られて穏やかになっておられればいいなあと思います。
今日まで伝えられているのは、
かつて天皇であった方が罪人として流され、
許されないまま配所で亡くなった悲劇に、
村人が心から同情しているのだと思います。