コメント
 
 
 
平 清宗公 (揚羽蝶)
2021-02-20 17:59:04
 南草津の清宗公の胴塚ですが、数年前に一度来て参拝させていただこうと、インターホンを押しましたが、応答がなく迷った末、不法侵入させて頂きました。ノートがおいてあり、お参りしたことを記入しました。清宗公は潔く斬首されたが、一番楽しい時であろう17歳でこの世を去るとは、残念であったでしょう。また、頭と胴が、別々なのは寂しいです。それにしても、代々保存、供養されている遠藤様には感謝です。
帰りに南草津の駅前のビルに図書館があったので平家関連の本を読んで帰ったと記憶しています。




 
 
 
そうだったのですか。 (sakura)
2021-02-21 11:14:47
駅前のビルにある図書館は、まったく気がつきませんでした。
現在、清宗の塚が祀られている所は、以前は、遠藤さまの
ご自宅の庭で自由に参拝できたようですね。

鎌倉へ送られる直前、宗盛と副将(能宗)との久しぶりの再会が描かれ、
対面後、宗盛との別れを嫌がる腹違いの弟・副将に清宗は、優しく宥めています。

ところで、「平家物語」は、清宗を父宗盛よりずっと潔い人物に描いています。
宗盛は頼朝の前で卑屈な態度をとり、彼の言葉を取り次いだ
比企能員にまで平身低頭してその場に居合わせた
頼朝の御家人たちに冷たい視線を向けられています。

一方、「延慶本」によると、清宗は頼朝に武門平家の
家に生まれた者の宿命を堂々と述べています。
将来は平家の棟梁として立派に務めを果たしたでしょうに。

宗盛を重盛や知盛と比較し、不甲斐ない武将として物語は描いています。

「源平盛衰記」(巻43・宗盛取替子の事)は、二位尼が壇ノ浦で入水する直前、
宗盛は唐笠法橋(からかさほっきょう)子で我が子ではないと告白したと書いています。
すでに清盛には嫡男の重盛がいましたが、もう一人男子が欲しいと言うので、
二位尼は神仏に男子誕生を祈りましたが、生まれたのは、女の子でした。
そこで清水坂にいた法橋のもとに生まれた男の子と取替て
清盛には男子が生まれたと報告したというのです。
後世の人が臆病者の宗盛を軽蔑するあまりこんな
いい加減な作り話を思いついたようです。

 
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