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東大寺、興福寺まで焼け落ちたら (yukariko)
2011-03-13 23:23:25
灯りのつもりで民家へ付けた火が強風に燃え広がって、般若寺から東大寺、興福寺の辺りまでというとかなり広い地域ですのにその一帯が焼け野原になり、僧兵のみならず、老僧や修行僧、稚児、女、子供らまでも火と煙に巻かれて焼け死んだらさぞ無残な地獄絵図だった事でしょう。
今の東北大震災の津波と火事で壊滅的な宮城、岩手の町もきっと地獄でしょうね。

戦では思いがけない事が起こって悲惨な事になりがちですが、東大寺や興福寺の焼亡は末世といわれながらも宮廷を盤石に抑えていたはずの平家にとって重大な手落ちで、ここから形勢は悪い方へ悪い方へと転がり落ちてゆく訳ですね。

3/3にお水取りの行事拝観で奈良を訪れました。
般若寺横の坂を下って東大寺前、車を降りて転害門から南大門へ、大仏殿を横に見て法華堂から二月堂へと歩きましたから印象はまだはっきりしていて、あの広い地域、建物群がみな燃え尽きたのかとリアルに想像してしまいました。

 
 
 
奈良坂、般若寺は京から奈良への入口 (sakura)
2011-03-15 13:53:00
ここから平重衡の兵火が駆け下った道を車で通られたそうですが、東大寺の転害門まではすぐだったでしょう。この時、戦場となった般若寺は全焼してしまいましたが、東大寺大仏殿の東にある二月堂は類焼を免れることができました。
しかしこのお堂の下にある閼伽井屋は焼損、それでも翌年の修二会の行事は行われ、今日まで絶えたことがないそうですね。
この焼き討ちで平家の運も尽きたのでしょうか。それから間もなく清盛は高熱にうなされながら最期を迎えます。人々は「南都焼き討ちのたたり」とか「それ見たことか」とささやき合います。
 
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