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廃仏毀釈まではその地方で有数の立派なお寺ですね (yukariko)
2009-12-03 20:21:55
今でもこの地方としては大きいお寺なのでしょうね。護摩木が木太刀をかたどっているのが変わっていますが、その言い伝えを聞けば『なるほど』思います。
源氏の棟梁・源頼朝の父を祀ったお寺で頼朝の庇護のもと、大いに栄え、その後も秀吉、家康の寄進を受けて発展とありますからこの地方一の大寺だったのでしょうね。

だからこそ、信孝が押し込められ、自害する場所に選ばれたのでしょうか。
歴史上の英雄が世に出て行く裏には、出自が貴くて野心だけは人以上でも才能が足らず、名を残せずに終わる人も沢山。
色々な歴史があるものですね。

徳川家は源氏の末裔と称したから尾張藩主も手厚い保護をしたでしょう。
廃仏毀釈の嵐で荒廃しなければよかったのにと思います。
ここで平康頼が出てきましたね。
在任中に尾張国に赴いた時、義朝の墓は弔う人もなく荒れていたので堂を建て六名の僧に不断念仏を唱えさせた…その功によって頼朝から所領を貰った…だったかな?
平康頼を詳しく調べておられる方がお二人おられましたね。読ませて貰って克明なルーツ探しにびっくりしました。
 
 
 
遠足で来るそうです (sakura)
2009-12-04 15:55:31
名古屋の小学生は大御堂寺にお参りして
義朝の最期を先生から聞くそうです。

寺伝に弘法大師が諸国行脚の際、大御堂寺に杖をとどめて
一千座の護摩を焚いたとあり、そのご縁でしょうか
「知多四国八十八箇所」大御堂寺50番、野間大坊51番
密蔵院52番、安養院53番、法山寺55番の札所になっています。
大御堂寺の駐車場には、巡礼者用のバスが止まり広い境内では
般若心経を唱える巡礼者を何人も見かけました。
歩いて巡拝される人のための旅館だと思いますが、
大御堂寺の付近には三軒の旅館があり驚きました。
このようなことから大御堂寺は愛知県では
かなり有名なお寺でしょう。

仰るように徳川家のお陰で大御堂寺をはじめ源氏に
関係するお寺が寄進を受け保護されていますね。

半年くらい前になるでしょうか。
安養院がNHKテレビ「歴史秘話ヒストリア?」で取り上げられ
ご住職が血染めの掛け軸を見せてくださいました。
自害したときの血が、床の間にかけてあった軸に
飛び散ったものでしょうが、信孝の激しい怒りを物語っているようでした。
信孝はしょせん根回し上手な秀吉にはかなわなかったのでしょう。

平康頼のご子孫tairaさま、その家人のご子孫木邑さまが
ご教示下さり平康頼についてさまざまなことが分かりました。
木邑さまが平康頼についてWikipediaに詳しくお書きになっていて
同じことを書いても面白くないので、次回は吾妻鏡に書かれている
「在任中に尾張国に赴いた時、義朝の墓は弔う人もなく
荒れていたので堂を建て六名の僧に不断念仏を唱えさせた…
その功によって頼朝から所領を貰った…」の処を読み、
別の説をとなえる研究者の本の中から抜粋して記事にしたいと思います。
 
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