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国民全部の共通の常識として刷り込まれてますね。 (yukariko)
2014-12-17 21:19:17
全ての衆生を受け入れてくれるという神様(仏様)を一番偉い上皇さまをはじめ貴族や武士までが参拝に行かれるのだからさぞかしご利益があるのだろうと庶民は思いますよね。
それが400年も続いたのだから国民全部に常識として刷り込まれてます。
この平家物語の中でも大事な場所として詠われているからそれも重要な教化の手段だったに違いないですね。

今でも交通手段が沢山ない辺鄙な場所だと思いますが、マスコミや報道機関が大声で誘わなくても(世界遺産として持て囃してはいますが…)絶えることなく参拝客がお参りに訪れますね。
 
 
 
すさまじい信仰を集めました。 (sakura)
2014-12-18 12:16:56
上皇の熊野御幸は何百人というお供を従えて行われたといいますし、
時代につれて武士庶民へと信仰が広がり、江戸時代中期のある年には、
田辺に泊まった参詣人が平均一日800人という記録が残っているそうです。

熊野は高野山と違って女人も受け入れたので、熊野古道を歩くと
和泉式部、北条政子の塔があったり、小栗判官が照手姫に伴われて
入浴したという伝説の温泉や足利義満の側室が参詣したという話も残っています。
熊野権現が男女を問わず受け入れてくれたことも、
当時の人々の心を動かしたのでしょうね。

中辺路コースを数回に分けて私が踏破したのは、熊野古道が
世界遺産に登録される前でしたが、日帰りツァーバスは毎回ほぼ満席でした。
 
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