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厳島神社の全景を初めて見ました! (yukariko)
2008-04-26 21:53:26
このような画像は個人旅行でしか得られませんね!

神社の他の遺構等、お写真も感心して見せて頂きました。
詳しい記述と共に見せて頂けるので、自分が旅をして実際に見て来たような気持です。

一天万乗の君と称されても宮中以外の場所に出られることもなく、上皇となって初めて八幡宮や賀茂の社に参詣されるという不自由な生活を当然と受け止めて生きてこられた高倉上皇にとって、安徳天皇への譲位だけでなく、清盛に気兼ねしてか清盛の意向を汲んだ側近に半ば強制されての厳島神社詣ではさぞ苦痛だったのでしょうね。

苦い思いを抱かれたままでは、泊まりを重ね、それまで目にした事もない見事な風景や神社を見ても心に響くどころか、体調を悪くする原因にしかならなかったのでしょうね。

翌年21歳で身罷られた…との記述に「おいたわしい」と思いますが、先の崇徳上皇といい、高貴な方々は歴史の波に揉みくちゃにされ、人並みの幸せなどは望む方が無理なのかも(笑)
 
 
 
何度も厳島へはお行きになっているので… (sakura)
2008-04-27 19:06:35
写真を見てくださっても大体の位置関係が分かって頂けるのでしょう。
「厳島神社全景」は神社後方の小山に上って撮りました。

お察しいただいたように厳島御幸は高倉上皇にとって苦痛だったようです。
厳島神社で巫女たちが踊る舞や歌にも一切興味を示されず、帰路の福原でも清盛のもてなしをありがた迷惑位に感じられていたようです。

高倉上皇は父より母滋子(清盛の妻・時子の妹)に容姿だけでなく、おだやかな性格も似ていたようで、
清盛にとってあれこれ策をめぐらす後白河院よりずっと扱いやすかったようですが、
迷惑なのは高倉院、強烈な個性の父と岳父の板ばさみになって気を使わざるをえなかったのでしょう。

hiroannさんのタグを噛み砕いてご指導くださってありがとうございました。
思ってた以上に文字数も多く入れることができ、これからも重宝しそうです。

 
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