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大宰府政庁跡 (揚羽蝶)
2016-11-05 19:04:19
 広い遺跡でさぞかし立派な建物だったと思います。
時代も天智天皇からと歴史がありますね。また11世紀になると、そちらの官人も武士化していき、頼盛公も赴任したのですね。
やはり九州は平家とゆかりが深いです。
 
 
 
政庁前の道路は車の往来が激しいですが (sakura)
2016-11-07 08:27:32
北に四王寺山(大野山)を望む広々とした台地は、遠い昔を彷彿させます。

頼盛が大宰大弐として現地に直接赴任したことは、大変重要なことです。
保安年間(1120~24)に源重資(しげすけ)以後、
大宰府長官として下向した人物はいません。

頼盛の下向は大宰府の役人を感激させ、九州の源氏勢力は駆逐され、
この地方の武士団も平氏の勢力下におかれました。

平家が大宰府に進出する以前、大宰府に進出したのは源為朝でした。
為朝は自らに従わない在地勢力を武力で制圧し、
3年のうちに九州全域を勢力下とし、朝廷の任命のないまま、
「鎮西総追捕使」を名乗り6年になった。と「保元物語」に記されています。
しかし、為朝は保元元年(1156)の保元の乱で崇徳院方として参戦し敗れました。
平氏は為朝のように武力を用いず、大宰府の権力を手に入れ、
九州に平氏勢力を広げました。

 
 
 
青々とした芝生の大宰府政庁跡は広々として気持ちがいいですね。 (yukariko)
2016-11-08 11:29:12
奈良の平城京跡に建つ復元された第一次大極殿や朱雀門、そして遺構の列柱は想像力の足りない私などにもその大きさを教えてくれますが、大宰府政庁の敷地も巨大な礎石を中心に門や回廊、周辺の役所跡が平面復元され大がかりな史跡公園になってるのですね。

景色は明るいですがやはり『夏草や兵どもが夢の跡』
個人旅行でも太宰府天満宮にはお参りしても、ここまで足を延ばして見て回れません。(他のメンバーが承知しないから)
頼盛の下向の頃より一帯に勢力を伸ばし、土着の豪族をその傘下に収め、大社寺とも結んで日宋貿易で利益を上げ、平氏の一大拠点となっていたからこそ、京を捨ててここまで下り、再度の源氏への反攻の拠点としたのですね。再度の登場は元寇の役の時のみ、大事な歴史の道標の一つでしょうか。


 
 
 
太宰府といえば (sakura)
2016-11-09 13:06:31
誰もが菅原道真とその霊廟の太宰府天満宮を思い浮かべますね。
駅前から続く参道の周辺には、太宰府名物の梅ヶ枝餅を
売る店やお土産屋が建ち並び賑わっています。

一方、太宰府市には、昔、九州全体を治める「大宰府」という役所が置かれ、
約500年もの長い間、その役目を果たしたのです。
大宰府の大きさは中央の平城京とは比較になりませんが、
今もその歴史をしのばせる大宰府政庁跡、水城跡、
大野城跡、観世音寺など、数多くの史跡が残っています。

 
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