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一族の栄枯盛衰が地元の寺の隆盛・衰退に直結する時代。 (yukariko)
2015-02-18 22:05:58
湯浅と聞いても「お醤油」…ここから千葉県の野田に伝わった…としか思い浮かびません(笑)

湯浅宗重が平氏の有力家人の一人として紀州最大の武士団を形成しながらも、のちは頼朝に諸荘園の地頭職に任命され源氏方に…うまく時代を乗り切り栄えながらも後の時代の政治情勢に翻弄されて衰退し、寺も繁栄振りが想像できないほどに衰退するとは…。
あの醍醐寺の立派な金堂(五大力さんの時に参拝後廻り廊下を裏側に廻りますよね)が勝楽寺本堂だったというのだからその昔の威勢は推して知るべしですね。
 
 
 
五大力さんのお札 (sakura)
2015-02-19 10:23:11
以前、お姑さんに頼まれてお札をもらいに行ったとおっしゃっていましたね。
参拝後、金堂の廻廊を回って下へ降りられた際に、
このお堂の大きさを歩いて実感されたのだと思います。

応仁の乱の兵火で衰微した醍醐寺は、秀吉の援助で復興しました。
醍醐の花見の際、秀吉は諸伽藍の修造をしていますが、新築が間に合わず、
総門を入ったところにある三宝院は金剛輪院を改修しています。
勝楽寺からは金堂と山門が船で運ばれて移築されましたが、
この山門が醍醐寺のどの門に当たるのかと調べてみましたが、分かりませんでした。
また勝楽寺の鐘楼(重文)も他の寺に移されています。
 
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