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玉章の木
(
揚羽蝶
)
2016-09-11 19:22:00
保元の昔から樹齢八百余年の天寿を全うした玉章の木
というのが、あるのですね。その葉を懐中すれば、よい
便りがあるといわれ、若い男女には、殊に珍重されているとは、なんともロマンチックなお話ですね。
私も若くないですが、一枚欲しくなりました。
白峯寺は立派なお寺ですね。
(
yukariko
)
2016-09-12 22:54:20
参拝者もいない忘れ去られた御廟や寂れたお寺ではなく、昔からお遍路さんが沢山参拝される立派なお寺ですね。
参拝の時にお寺の由来と共に崇徳上皇の御陵の話、怨霊の話、西行白峯詣でなど色々な物語や伝説がお寺の僧や他の信者にも教えられ、故郷への土産話として伝わり上皇への崇敬も一緒に広まっていった事でしょう。
このお寺に参拝することはおそらくないと思うので、絵地図を始め現地の詳しい説明とお写真を載せて下さり、それでお寺や御廟の有様がよく分かってありがたいです。
揚羽蝶さま
(
sakura
)
2016-09-13 15:44:32
昭和45年に枯れた木の跡に、二代目の玉章の木が育っています。
コメントを読ませていただいて、私も一枚もらってくればよかったと思います。
この伝説の舞台は白峯になったり上皇の最晩年の地・鼓岡になったりしていますが、
鼓岡の方がふさわしい気がします。いずれにしても、
上皇にとって都は懐かしい所だったようで、鼓岡辺りは
「なかずの里」とも呼ばれ、鴨川、醍醐、東山など京
そっくりの地名が寂しい配所生活を偲ばせます。
yukarikoさま
(
sakura
)
2016-09-13 15:47:18
そんな風にいってくださると、大変うれしいです。
智証大師が本尊を刻んで白峯に置き、修行の道場としたのが白峯寺ですが、
上皇の葬儀や法要を行ったのがこの寺です。
生まれながらに暗い影を背負わされたばかりに、
上皇は悲しい生涯を送ることになりました。
かつて天皇の座にあったお方が、あれほど都を恋しがっておられたのに、
死してのちにも都に帰れないとは!
その人生が悲劇的であればあるほど、人々は同情し憐れみます。
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というのが、あるのですね。その葉を懐中すれば、よい
便りがあるといわれ、若い男女には、殊に珍重されているとは、なんともロマンチックなお話ですね。
私も若くないですが、一枚欲しくなりました。
参拝の時にお寺の由来と共に崇徳上皇の御陵の話、怨霊の話、西行白峯詣でなど色々な物語や伝説がお寺の僧や他の信者にも教えられ、故郷への土産話として伝わり上皇への崇敬も一緒に広まっていった事でしょう。
このお寺に参拝することはおそらくないと思うので、絵地図を始め現地の詳しい説明とお写真を載せて下さり、それでお寺や御廟の有様がよく分かってありがたいです。
コメントを読ませていただいて、私も一枚もらってくればよかったと思います。
この伝説の舞台は白峯になったり上皇の最晩年の地・鼓岡になったりしていますが、
鼓岡の方がふさわしい気がします。いずれにしても、
上皇にとって都は懐かしい所だったようで、鼓岡辺りは
「なかずの里」とも呼ばれ、鴨川、醍醐、東山など京
そっくりの地名が寂しい配所生活を偲ばせます。
智証大師が本尊を刻んで白峯に置き、修行の道場としたのが白峯寺ですが、
上皇の葬儀や法要を行ったのがこの寺です。
生まれながらに暗い影を背負わされたばかりに、
上皇は悲しい生涯を送ることになりました。
かつて天皇の座にあったお方が、あれほど都を恋しがっておられたのに、
死してのちにも都に帰れないとは!
その人生が悲劇的であればあるほど、人々は同情し憐れみます。