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数年前にツアーで音戸の瀬戸公園に行きました。 (yukariko)
2012-10-11 22:25:52
吉川英治は太平記なども愛読したので『へぇ!』と見て、
音戸の瀬戸もsakuraさまのブログを読んでいたから特に興味が深くじっくりと眺めましたが、個人旅行でないから日招き像の方は割愛され、清盛塚の近くを通っただけでした

岩の杖と足跡はこじつけだと思いますし、開削も平安後期の工事だから実際にはどのぐらいの規模だったか、今では想像のしようもばいですが、それまで誰も手を付けていなかったのをやったというだけでもすごい事ですね。
 
 
 
そうでしたね! (sakura)
2012-10-12 13:50:04
その際は音戸大橋と音戸の瀬戸、文学碑の画像を見せていただきました。
日招き像は瀬戸内の絶景が広がる所に建てられていますが、行くのにはとても不便なところです。
今年はシャトルバスが運行されているので、多くの方が上られたと思いますが、
私が行った時は、公園を作業する人がいらっしゃっただけでした。

 
 
 
警固屋の地名の由来 (警固屋の氏子)
2016-07-27 21:43:58
現在は警固屋(けごや)と言われていますが、昔は、ケ小屋と言われていました、昔は食べ物の事をケと言い、音戸ノ瀬戸を挟んだ本土側に食べ物の小屋が立っていたと伝承されています。架空の音戸ノ瀬戸清盛伝説と漢字を違う漢字にあてた事で現在の様な地名になっています。
 
 
 
ご訪問ありがとうございます。 (sakura)
2016-07-28 08:05:18
地元の方だからこそ知りえる資料にも、ガイドブックにも載ってない貴重な情報です。
重ねてお礼申し上げます。

コメントを読ませていただいてすぐに思い出したのが、
有間皇子の「家にあれば けに盛る飯(いい)を 
草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」(万葉集・巻2・142)です。
(家にいれば器に盛る飯を、旅にいるので椎の葉に盛ることだ。)
ここでは「け」は食器の意味ですが、
どちらにしても「け」は食べ物に関する言葉ですね。
 
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