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Unknown (yukariko)
2013-10-18 00:48:52
門脇中納言教盛は、父忠盛の巧みな宮廷工作による清盛の栄達を目の当たりにし、平氏の隆盛を実感した人であり、同時にまた、あっという間にやってきた一族の衰運を大事な息子達の戦死やその妻の入水という悲惨な運命をわが身に受けて、これから先を生き続けるにはあまりにも辛い人生を送る羽目になりましたね。

年老いた身には若い息子たちに先に行かれる悲しさがひしひしと感じられ、さぞかし世の辛さを身に染みて感じた事でしょう。

 
 
 
そうですね (sakura)
2013-10-18 17:21:21
教盛は平氏政権での栄達に伴い中納言にまで出世し、
門脇宰相・門脇中納言などと呼ばれましたが、
娘婿が鹿ケ谷事件の首謀者藤原成親の子息成経であったため、
罪に問われた娘婿の助命に奔走し、兄の清盛に自身の出家まで口にして
やっと許され、それから中宮徳子の懐妊を機に、鬼界島に流された
娘婿の恩赦を願い出てそれが認められるまでは苦労しました。
清盛没後は一門の長老として平宗盛を補佐する役目を担っていたようです。
一ノ谷の戦いで嫡男の通盛を始め子息を失った時、
60歳前後の年齢だったと云われていますから、
彼の身辺は随分と心細いものになったことでしょう。
合戦のもたらした親の悲しみが語られていますね。
 
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