コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
「女は弱しされど母は強し」ですね!
(
yukariko
)
2010-03-09 23:20:43
都で千人の美女の中から選ばれて宮中の雑仕女となり、義朝の愛妾となって子供を三人産んだ常盤は上級貴族の姫君とは違っても源氏の棟梁の妻としてそれなりの暮らしをしてきたと思いますが、一転して謀反人の妻となり、ただ、よよと泣き伏すだけではなく、三人の子供達をかくまう為に親戚のある吉野まで逃げようとするのが母の力、凄いですね。
それまでと打って変わって力になるべき親戚までが居留守を使う情けなさにも耐え、交通手段を持たない非力な女の身で幼い三人の子と供も一人いるかどうか、哀れに思った情けある人々に助けられながら真冬の最中に京から伏見、奈良、長谷、吉野と逃亡の旅をするのですね。
それこそ観音様の御助けがあったからこそ大宇陀の叔父のもとまで辿りつけたという説話ですが今考えても吉野は遠いから幼子、乳飲み子を抱えて雪道を辿るのは大変な苦労だったろうと思います。
昨年の時代祭りの今若、乙若は藁靴や運動靴を履いていたのを思い出して微苦笑しました。
履物は履いていたと思うのですが…
(
sakura
)
2010-03-10 17:05:40
昨年はyukarikoさんが撮影された時代祭りの常盤母子の可愛い写真を見せていただきましたね、その節はありがとうございました。この頃の常盤や牛若丸については「平治物語」に頼るしかありませんが、物語に書かれていることが全て本当かどうか?
物語の常として、読者・聞き手を意識し、少し誇張して面白く書いてあるのだと思います。常盤が都落ちの時、今若・乙若が履物もはく時間がなかったとは考えにくく、哀れみを誘うために少し誇張されているのかもしれません。
観音を深く信仰していた常盤は長谷寺にも参詣したことがあると思われますが、
その時は牛車に乗り、お供を連れての旅だった筈です。おっしゃるように雪道を3人の幼い子を連れての道は苦労の連続だったと思います。
現在でも宇陀までの道は、近鉄電車榛原駅で降り、そこから本数の少ないバスを待つか、長い道のりを南へと歩く道は遠く感じます。
清水の観音のご加護で、宇陀まで無事辿りつき、その後、子供たちの命は助けられます。また常盤自身も数奇な運命をたどりながら、雑仕女という身分から、義朝の北の方(頼朝の母は平治の乱の前に亡くなっている)さらに一条大蔵卿長成という貴族と再婚し、出世?していきます。
こちらも昨年お参りされて、よくご存知の珍皇寺門前の六道の辻。清水寺千日詣りには、この辻を通って参詣するのが習わしだったようです。
清水寺の観音は特に女性に人気があったようで、「枕草子」や「源氏物語」にもお参りの人々で賑わう清水寺の様子が書かれています。
コメントを投稿する
名前
タイトル
URL
コメント
※絵文字はjavascriptが有効な環境でのみご利用いただけます。
▼ 絵文字を表示
携帯絵文字
リスト1
リスト2
リスト3
リスト4
リスト5
ユーザー作品
▲ 閉じる
コメント利用規約
に同意の上コメント投稿を行ってください。
コメント利用規約に同意する
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
それまでと打って変わって力になるべき親戚までが居留守を使う情けなさにも耐え、交通手段を持たない非力な女の身で幼い三人の子と供も一人いるかどうか、哀れに思った情けある人々に助けられながら真冬の最中に京から伏見、奈良、長谷、吉野と逃亡の旅をするのですね。
それこそ観音様の御助けがあったからこそ大宇陀の叔父のもとまで辿りつけたという説話ですが今考えても吉野は遠いから幼子、乳飲み子を抱えて雪道を辿るのは大変な苦労だったろうと思います。
昨年の時代祭りの今若、乙若は藁靴や運動靴を履いていたのを思い出して微苦笑しました。
物語の常として、読者・聞き手を意識し、少し誇張して面白く書いてあるのだと思います。常盤が都落ちの時、今若・乙若が履物もはく時間がなかったとは考えにくく、哀れみを誘うために少し誇張されているのかもしれません。
観音を深く信仰していた常盤は長谷寺にも参詣したことがあると思われますが、
その時は牛車に乗り、お供を連れての旅だった筈です。おっしゃるように雪道を3人の幼い子を連れての道は苦労の連続だったと思います。
現在でも宇陀までの道は、近鉄電車榛原駅で降り、そこから本数の少ないバスを待つか、長い道のりを南へと歩く道は遠く感じます。
清水の観音のご加護で、宇陀まで無事辿りつき、その後、子供たちの命は助けられます。また常盤自身も数奇な運命をたどりながら、雑仕女という身分から、義朝の北の方(頼朝の母は平治の乱の前に亡くなっている)さらに一条大蔵卿長成という貴族と再婚し、出世?していきます。
こちらも昨年お参りされて、よくご存知の珍皇寺門前の六道の辻。清水寺千日詣りには、この辻を通って参詣するのが習わしだったようです。
清水寺の観音は特に女性に人気があったようで、「枕草子」や「源氏物語」にもお参りの人々で賑わう清水寺の様子が書かれています。