コメント
 
 
 
sakura様にとってもドリームロードですね (自閑)
2016-01-16 16:16:04
sakura様
義経ファンのsakura様にとっても、そこかしこに義経の所縁の地名が残っていて、800年前にここを実際に通っていった武き義経を思う事ができるこの道は、将にドリームロードでしょう。
市役所への調べ、丁寧な道案内、感服いたしました。

拙句
あづさゆみはるけき心とおり行く
 
 
 
まさに夢のような街道です。 (sakura)
2016-01-17 08:13:20
自閑さま
「弦張り坂」という言葉をひらって、
即興で俳句を読んで下さったのですね。
張ると遥けきですか。ありがとうございます。

伝説とか地名はもの言わぬ文化財?
小松島市より南には義経上陸の伝説や言い伝えがまったくないそうです。
これも吾妻鏡が記す「椿浦」を否定する根拠のひとつとなっています。

 
 
 
懐かし遍路道です (ひろ庵)
2016-01-19 17:44:29
四国88ヶ所歩き遍路で阿波の国第17番井戸寺から徳島市、小松市を経て17.6km先の第18番恩山寺に到着直前に源義経上陸地点の石碑と出あった。そして恩山寺の山門から竹林に入り、弦巻阪・弦張坂をを下って4km先の第19番立江寺へと歩き進んだ、懐かしい思い出の道です。
その時も源義経に感心したものですが、その地を訪問されたのは研究熱心ですね。ナイス。
 
 
 
お遍路道はとても厳しい道ですね。 (yukariko)
2016-01-19 21:41:50
現代まで88ヶ所の歩き遍路道として使われている道路でさえも厳しい道筋ですが、その昔、案内役の武将と共に進んだ義経の軍勢にとっては海から上がって厳しい警戒と共に駆け抜けた歴史的な道。
ドリームロードは言い伝えが一杯残る無形文化財なのですね。
 
 
 
ひろ庵さま (sakura)
2016-01-20 09:21:29
最近は観光バスを使って四国88ヶ所巡りができるようになりましたが、
歩き遍路全行程を踏破、高野山へのお礼参りも終えられ、
お写真を見せていただいた時は、驚きとともに感動してしまいました。

歩くのには体力や気力、時間、資金などが必要ですが、
すべてが揃ったタイミングを見図られての踏破、
この時も、22kmほど歩かれたのですね。
碑炉安さまは中年?の星です。
 
 
 
yukarikoさま (sakura)
2016-01-20 09:23:32
そうなのです。
ドリームロードだけでなく、小松島市から屋島に義経が
疾風のごとく駆け抜けた道筋には、数々の伝説が残っています。
 
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