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実際に現地を見てこられたのですね!
(
yukairko
)
2010-09-23 22:51:45
ここに載せて下さったのは、残暑厳しい八月下旬に、バスを降りて20分も細い道を上り下りして下さった努力の賜物なのですね。
ありがとうございます。
前回の前田青邨の絵とこの窟の写真を重ね合わせて想像しています。
現代このように整備されてさえいかにも山奥の風情ですからその昔はもっと深い木々に日も差さないような場所だったのでしょう。
でも旧暦八月とあるからは今の九月、明るい八月の光で見ても凄い洞穴ですね。
地元とはいえ、そこに人目をはばかりながら食料を持って通った実平の奥方もさぞ大変だったでしょうね。
出来の悪い写真
(
sakura
)
2010-09-24 17:21:52
洞窟は山深い所にある真っ暗な大きな窟です。
私のコンパクトカメラでは、スーパーフラッシュ、
絞り優先で撮影してもこの程度の写真です。
不出来な写真ばかりなのに見てくださってありがとうございます。
のち頼朝の側近の一人で派手好きで有名な筑後守俊兼が見事な小袖十余領を重ね着して頼朝の前に現われた時、刀を抜いてその袖を切り取り「千葉介常胤・土肥実平は多くの所領をもっているが、それでも質素な服を身にまとい節約を心がけているので、その家はますます豊かであるとの評判があり、多くの郎党を養っていざというときに備えておる。」と頼朝が俊兼に贅沢を戒めたというエピソードが伝えられています。
実平がこのような人柄ですから、奥方も質素で地味な方だったのでしょう。百姓や民に姿を変えて頼朝主従のために食糧を運んだそうですが、平家方がうの目鷹の目で探す中をどうやってここまで辿りついたのでしょう。湯河原駅の実平館から洞窟まではかなりの道のりです。近道でもあるのでしょうか。現地に立つと疑問ばかり湧いてきます。
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ありがとうございます。
前回の前田青邨の絵とこの窟の写真を重ね合わせて想像しています。
現代このように整備されてさえいかにも山奥の風情ですからその昔はもっと深い木々に日も差さないような場所だったのでしょう。
でも旧暦八月とあるからは今の九月、明るい八月の光で見ても凄い洞穴ですね。
地元とはいえ、そこに人目をはばかりながら食料を持って通った実平の奥方もさぞ大変だったでしょうね。
私のコンパクトカメラでは、スーパーフラッシュ、
絞り優先で撮影してもこの程度の写真です。
不出来な写真ばかりなのに見てくださってありがとうございます。
のち頼朝の側近の一人で派手好きで有名な筑後守俊兼が見事な小袖十余領を重ね着して頼朝の前に現われた時、刀を抜いてその袖を切り取り「千葉介常胤・土肥実平は多くの所領をもっているが、それでも質素な服を身にまとい節約を心がけているので、その家はますます豊かであるとの評判があり、多くの郎党を養っていざというときに備えておる。」と頼朝が俊兼に贅沢を戒めたというエピソードが伝えられています。
実平がこのような人柄ですから、奥方も質素で地味な方だったのでしょう。百姓や民に姿を変えて頼朝主従のために食糧を運んだそうですが、平家方がうの目鷹の目で探す中をどうやってここまで辿りついたのでしょう。湯河原駅の実平館から洞窟まではかなりの道のりです。近道でもあるのでしょうか。現地に立つと疑問ばかり湧いてきます。