コメント
 
 
 
平家の落ち武者たちが生き延びるのは難しかったでしょうから… (yukariko)
2020-11-30 13:21:12
日本中が源氏と平家に別れて各地で争ったのだから、あちこちで元平氏の者たちが源氏の恩賞狙いの者によって見つけ出され、処罰されたのでしょうね。
それを避けるために、椎葉村の平氏の落ち武者末裔、鶴富姫伝説に代表されるように、人の住まないような場所に集落を作ってひっそりと生きたのでしょうが、武勇の名の高かった人達は執拗な追手を避けて隠れ住むのも難しかったでしょうね。こんな時代には身内さえも信用できなかったでしょうから。
 
 
 
景清の一族は、頼朝暗殺に執念を燃やします (sakura)
2020-12-01 15:28:59
景清の父忠清は一門の都落ちには同行せずに伊勢にとどまりました。
翌年の元暦元年(1184)7月から8月にかけて、平氏残党が
伊賀・伊勢で大規模な反乱を起こすと、この乱に参加して
捕われ六条河原でさらし首にされました。

兄の忠光は壇ノ浦から逃れ、魚の鱗で左目をおおって変装し
鎌倉の永福寺(ようふくじ)の工事現場に人夫に紛れて現れます。
そこで頼朝暗殺の機会を窺っていましたが、捕われ
六浦海岸(横浜市金沢区)で晒し首になりました。

景清も一門が入水する中、壇ノ浦から逃れて各地でゲリラ活動を続け、
源氏追討に並々ならぬ闘志を燃やします。
これについて多くの諸本が紀伊国湯浅城に潜んでいた
重盛の子息、忠房を擁して兄の忠光らと戦ったことや
伊賀大夫知忠(平知盛の三男)の謀反に与したことを記しています。

後に景清は『平家物語』から溢れだし、歌舞伎・古浄瑠璃・浄瑠璃・
幸若舞・講談・絵草子の主人公となり、鮮やかに描き出されます。

幸若舞「景清」は、『平家物語』諸本に見える平家残党伝説を
景清一人に集約し、英雄化しています。

大日坊能忍とかかわる景清伝説は、三宝寺の縁起に利用されていたようです。

安徳天皇はじめ、平家武将たちにまつわる伝承は日本各地にあります。
平家落人伝説で知られる椎葉村は、毎年「椎葉平家まつり」が開かれ、
椎葉に伝わる「ひえつき節」には、鶴冨姫と大八郎の哀話が歌われ、
平家伝説を色濃いものにしています。

 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。