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はるばると京帥から下ってきた官吏にとってはいつか帰る土地として望郷の念があったでしょう。 (yukariko)
2016-11-17 19:04:33
土着の官僚とは違って、都より官位を貰って赴任してきた貴族は期間が過ぎたら戻るという希望がありますが…実際には左遷の土地だから、都に戻れなかった人も多かったのでしょうが、平氏の一族にとってはもう二度と帰りたくても帰れない都、宇佐八幡でのつれない神託を伝えられたら尚の事、家族や愛しい人を残してはるけくも来てしまったという思いと共に、切実な望郷と哀切の念が歌に籠り、落涙された事でしょう。

今読んでもその気持ちを察して胸が詰まりますものね。
 
 
 
平氏一門は (sakura)
2016-11-19 09:33:20
安徳天皇と三種の神器を奉じているので、都に帰れると思っていたようです。

宇佐八幡宮の託宣を受け失意の中、道真と一門の境遇を重ね合わし、
道真が醍醐天皇を思い出し、大宰府で詠んだ漢詩の
一句をふまえて和歌を詠んだのです。

官人らの頭から片時も離れなかったのは、都との遠い距離感です。

まして旅人は60歳すぎ、憶良は70歳に近い赴任ですから、
旅人は二度と奈良の都を見ずに終わるのだろうかと、
憶良は鄙の地に5年もいてすっかり都の風習を忘れてしまったと、
ともに望郷の思いと帰京できない不安を歌に詠んでいます。

菅原道真の場合は、前職の右大臣から大宰権帥への
降格ですから左遷ということになります。

旅人の場合には、二つの見方があります。
大伴家は代々天皇の身辺や宮廷を守護する名門でしたが、
当時、新興勢力の藤原氏が台頭し、その勢力に押され気味でした。

旅人の大宰府赴任を藤原氏の陰謀による左遷とする考え方と
隼人征討の実績を踏まえての適当な人事とする見方があります。

どちらにしても、その子家持は藤原一族に疎外され、
およそ悲運の生涯を送り、
大伴氏は古代史の表舞台から消えていきました。
 
 
 
望郷 (揚羽蝶)
2016-11-19 17:26:06
 大伴旅人や山上憶良も、大宰府に赴任していたのは、知らなかったです。高校の古典の時間を思い出しました。
また、平家一門も、道真公の太宰府天満宮に参詣し望郷の思いの歌を、詠んでいるのですね。さすが、花蝶風月?を愛する文化人の平家です。しかし、帰京が、叶わなかったのは、残念です。
 
 
 
平氏には和歌や音曲に優れた人物が多くいました。 (sakura)
2016-11-20 06:24:10
清盛の父忠盛が武士でありながら和歌や笛をよくし、
「平家物語」には、その姿は和歌とともに語られています。

明石の浦の月を詠んだ歌が鳥羽上皇に褒められた話や
仙洞御所に仕える女房(忠度の母)と和歌を通じて心を通わせたという物語が見えます。

経盛や忠度、経正の歌人としての姿は、優れた歌人であった
忠盛の素質を受け継いだものでしょうね。

また経正が琵琶、その弟の敦盛が笛という風雅の才も祖父との血のつながりを思わせます。

高校の古典の時間に小野老や憶良の歌は習いましたね。
「青丹によし」は、奈良にかかる枕詞で、
「青」は青瓦、 「丹」は丹塗りの柱だなどと教えられました。

 
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