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小矢部市の義仲像は5トン
(
自閑
)
2016-01-23 09:03:05
sakura様
勇ましい義経像は、写真の撮り甲斐がありましたね。後ろの白旗が、当時を思い浮かべるに効果的です。
バスの時刻表はとても重要です。
先日も未だバスが来ないので、少し歩こうとしたら、単にバスが遅れてただけで、通り過ぎてしまい、3時間も歩くはめになってしまいました。拝観時間はとうに過ぎ。(涙)
でも歩くから芭蕉句碑を見つけたのですが。
富山県の小矢部市の義仲騎馬像は、5トンも有り、とてつもない大きさだと思ったのですが、それを義経は上回っているのですね。富山、石川では義仲の人気が勧進帳の弁慶より幾分高い地域です。
埴生護国八幡宮の義仲像ですね。
(
sakura
)
2016-01-24 08:50:54
この八幡宮に義仲が戦勝祈願したとされ、
像は祈願に訪れた際の馬上の姿をあらわしていると聞きました。
今思い出しても勇壮で立派な像です。
自閑さまは倶利伽羅古戦場をお歩きになったそうですが、
私は熊が恐ろしくて歩いていません。
古戦場は「つばたふるさと探偵団」の方々に案内していただいてバスで移動、
所々でバスを下りて説明を聞いただけです。
探偵団の方は義仲ファンばかり、NHKの大河ドラマに
義仲をとりあげてくれるようにと、木曽義仲の里と一緒に
長年運動をしていると仰っていました。
昨秋、自閑さまは龍田川を訪ねられてがっかりされていましたが、
護国八幡宮の鳥居を潜ると、もみじが真っ赤に燃えていて、
「ちはやぶる 神代もきかず 龍田川からくれなゐに 水くくるとは」の
和歌などを思い出していました。
地方に行くと交通の便が悪いことが多く、
しばしば予定していた以上に長い距離を歩くことになりますが、
歩かないと見えない景色もたくさんありますね。
義経像が高すぎて、白旗があまり写ってないのが残念です。
源氏の白旗に囲まれた義経の勇姿が素晴らしいU+2757
(
Yukariko
)
2016-01-25 10:38:15
先日からのTOP画像の義経像は何処に
建立されているのだろうと思っていましたが
ここにあったのですね。
こういうお話は歴史で源氏と平家が争って
流れが源氏に傾いて行く節目の起点になった
屋島の戦いの前の大事なエピソードだから
もっと知られて欲しいです。
鵯越や一ノ谷の合戦を子供の頃、貸本やの講談本で
読んだのが義経贔屓になった元ですが、
TVや歴史資料などでは義経の勇姿は見せられた
事がなくて変な絵姿ばかりなのが不満でしたから。
バスの旅でも乗り継ぎで本数の少なさにビックリ
しますから、時刻表を載せてくださっているのは
訪ねる方にとってはありがたいだろうと思います。
義経の容姿
(
sakura
)
2016-01-26 09:40:50
義経の母は絶世の美女常磐ですし、美浜町野間の大御堂寺蔵の
義朝像も立派な武将姿に描かれています。
その二人の間に生まれた子はきっと見目麗しいに違いありません。
ところが「鶏合せ壇浦合戦」の下りでは、
「義経は背が低く、色白で出っ歯」とあり、
中尊寺蔵の義経肖像画も決して美男子とはいえません。
どちらかといえば貧相な顔つきの男です。
旗山には大きな義経の騎馬像が聳えたち、ドリームロードには
案内板が各所にあり、道に迷うことはありません。
もっと広く知られるようになればいいなと思います。
バスのダイヤは変わりますから、参考になるかどうか分りませんが、
本数が少ないことだけは理解していただけると思います。
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勇ましい義経像は、写真の撮り甲斐がありましたね。後ろの白旗が、当時を思い浮かべるに効果的です。
バスの時刻表はとても重要です。
先日も未だバスが来ないので、少し歩こうとしたら、単にバスが遅れてただけで、通り過ぎてしまい、3時間も歩くはめになってしまいました。拝観時間はとうに過ぎ。(涙)
でも歩くから芭蕉句碑を見つけたのですが。
富山県の小矢部市の義仲騎馬像は、5トンも有り、とてつもない大きさだと思ったのですが、それを義経は上回っているのですね。富山、石川では義仲の人気が勧進帳の弁慶より幾分高い地域です。
像は祈願に訪れた際の馬上の姿をあらわしていると聞きました。
今思い出しても勇壮で立派な像です。
自閑さまは倶利伽羅古戦場をお歩きになったそうですが、
私は熊が恐ろしくて歩いていません。
古戦場は「つばたふるさと探偵団」の方々に案内していただいてバスで移動、
所々でバスを下りて説明を聞いただけです。
探偵団の方は義仲ファンばかり、NHKの大河ドラマに
義仲をとりあげてくれるようにと、木曽義仲の里と一緒に
長年運動をしていると仰っていました。
昨秋、自閑さまは龍田川を訪ねられてがっかりされていましたが、
護国八幡宮の鳥居を潜ると、もみじが真っ赤に燃えていて、
「ちはやぶる 神代もきかず 龍田川からくれなゐに 水くくるとは」の
和歌などを思い出していました。
地方に行くと交通の便が悪いことが多く、
しばしば予定していた以上に長い距離を歩くことになりますが、
歩かないと見えない景色もたくさんありますね。
義経像が高すぎて、白旗があまり写ってないのが残念です。
建立されているのだろうと思っていましたが
ここにあったのですね。
こういうお話は歴史で源氏と平家が争って
流れが源氏に傾いて行く節目の起点になった
屋島の戦いの前の大事なエピソードだから
もっと知られて欲しいです。
鵯越や一ノ谷の合戦を子供の頃、貸本やの講談本で
読んだのが義経贔屓になった元ですが、
TVや歴史資料などでは義経の勇姿は見せられた
事がなくて変な絵姿ばかりなのが不満でしたから。
バスの旅でも乗り継ぎで本数の少なさにビックリ
しますから、時刻表を載せてくださっているのは
訪ねる方にとってはありがたいだろうと思います。
義朝像も立派な武将姿に描かれています。
その二人の間に生まれた子はきっと見目麗しいに違いありません。
ところが「鶏合せ壇浦合戦」の下りでは、
「義経は背が低く、色白で出っ歯」とあり、
中尊寺蔵の義経肖像画も決して美男子とはいえません。
どちらかといえば貧相な顔つきの男です。
旗山には大きな義経の騎馬像が聳えたち、ドリームロードには
案内板が各所にあり、道に迷うことはありません。
もっと広く知られるようになればいいなと思います。
バスのダイヤは変わりますから、参考になるかどうか分りませんが、
本数が少ないことだけは理解していただけると思います。