-オレは本を捜していた
もしくは或いは匣だったかも知れないし、宝石だったかも知れないし、胎児だったかも知れないが、そうでなくて俺が捜しているのは、あくまで歯車なのだ。卵だったかもしれない
姫に依頼されたからだ
「わたくしの蛇が逃げ出しました。捜して、見つけ出して、掴まえて、首を絞め、首を吊り上げ、首を刎ねよ」
俺は次の日の朝まで眠ることにした
ソファーの上で横になる俺を、黒い山羊の貌が天井から見下ろしていた
ぐるぐると眼球が回転していた
長く紅い下が垂れ下がる
下を震わせ、山羊は「残虐メルヒェン」と、寂しそうに呟いた
「起きて、お兄ちゃん、朝だよ」
妹が身体を揺さ振る
原色で塗り潰された朝陽が、カーテンの隙間から射し込んでいた
棺桶のような目覚まし時計を確かめる
四つの針が完全無秩序に時を刻んでいた
ザクザクザクザク。
「早くしないと遅刻しちゃうよ?」
その通りだった
俺は血溜りと羊水と肉塊の中から飛び起きた
血塗れのパジャマを脱ぎ捨てる
カーテンを勢いよく開けば、極彩色の空が滴り落ちていた
風が甘い腐臭を運ぶ
心地好い春の匂いだった
食卓についた
「お兄ちゃん、おはよう」
みんな揃っていた
「母さんは?」
「そこに」
首を吊っていた
今月に入って四度目だ
ぎしぎしと縛り首の立ち木がしなる
ぶらりぶらりと母さんが揺れている
母さんの足下で赤黒い塊が蠢いていた
不完全だった
俺はそれを拾い上げ、四つの皿に均等に分けて美味しくいただいた
よく煮込んだ重油のような味がした
-俺は本を捜しに行かなければならない
「いってきます」
「お兄ちゃん、はい、おべんとう」
妹から鳥かごを受け取って俺は家を出た
げろげろ、げろげろ
親子連れのカエル面の半魚人で賑わう街
露店では、渦巻きの頭を持った昆虫の香具師が大声で客を呼び込んでいた
彼は菌類だった
香具師が俺を呼び止めた
脳味噌が売られていた
「あなたの脳味噌です」
香具師は言った
「この中にあなたの宇宙が納まっているのです。だがあなたと云う存在はこの脳味噌から溢れ出てしまった」
漏れ出した個
全に溶け込む個
個にして全。だが全は個に非ず
断絶された個を失った個
生贄。
「ロード・アイランド病院から持ち出した脳味噌もあります」
香具師はもう一つの脳味噌を取り出した
薄灰色のプリンのようなソレがぷるぷる震えていた
「モルヒネと一緒に如何ですか?」
俺は汽車に乗った
危うく乗り遅れるところだった
走る汽車
窓の外には穏やかな焼け野の光景が広がっている
緑色の雪が降っていた
どろどろと大地が溶けてゆく
大地を失い、線路は捻じ曲がり、汽車は地の底へ下る
暗黒と深淵
汽車は何処までも下り続け、昇り続けた
ようやく汽車は終点に着いた
アナウンスが流れる
「終点-。原始の卵。宇宙卵。無精卵」
汽車を降りるとそこは教会だった
シスターと子供たちが泣いていた
紅い涙を流し、黄色い鼻汁を垂らし、耳から白い汁を滴らせていた
俺は訊ねた
「どうしたのですか?」
シスターが答えた
「神様が孵化しました」
口笛が聴こえる
ホルストの組曲『惑星』
『天王星』の章
シスターが言った
「神子は夜明けに老いて生まれました。黄昏には幼子になって死ぬでしょう」
子供たちが頷いた
「流転。逆転。人造天国。再生楽園。フラスコ」
-俺は本を捜しに行かなければならない
麋爛の街を病みながら歩く
俺は本を捜しに行かなければならない
世界の亡骸。充ちる凄惨な闇黒
俺は本を捜しに行かなければならない
蒼冷めた星。血濡れの空
俺は本を捜しに行かなければならない
吹き抜ける死臭の風
俺は本を捜しに行かなければならない
光と闇を越えて
俺は本を捜しに行かなければならない
完成の膨張、無限の凝縮、断絶の永劫、終焉の連続、束縛の遠大、崩壊の結集、誕生の帰還、麋爛の新生、未踏の過去、既出の未来、虚無の実在、輪廻の直線、統一の混沌、安寧の狂乱、堕胎の受胎、完結の成長、固定の噴出、汚穢の純潔、狂気の秩序、孤独の共鳴、俺は本を-
空白が俺を満たす
音楽が聴こえる
吐き気を催す異形の唄
くぐもった狂おしい太鼓の連打
単調な冒涜的なフルートの音色
何もかもが発狂していた
その狂気に合わせて、ソレは踊る
緩慢に、
ぎこちなく、
愚かしく、
汚らわしく、
時も、
空間も、
想いすら越えた領域で、
世界の中心であり、最果てである領域で、
盲目の不定形、
零知の完全、
煮えたぎる核、
其れは--神?
俺の、タマシイが、砕け、散った
崩れる
崩れ落ちる
何もかも忘れてゆく
砕け、無散し、拡散した、俺は、
俺は、
俺は、
俺は-
-俺は本を捜していた
もしくは或いは匣だったかも知れないし、宝石だったかも知れないし、胎児だったかも知れないが、そうでなくて俺が捜しているのは、あくまで歯車なのだ。卵だったかもしれない
姫に依頼されたからだ
「わたくしの蛇が逃げ出しました。捜して、見つけ出して、掴まえて、首を絞め、首を吊り上げ、首を刎ねよ」
俺は次の日の朝まで眠ることにした
ソファーの上で横になる俺を、黒い山羊の貌が天井から見下ろしていた
ぐるぐると眼球が回転していた
長く紅い下が垂れ下がる
下を震わせ、山羊は「残虐メルヒェン」と、寂しそうに呟いた
「起きて、お兄ちゃん、朝だよ」
妹が身体を揺さ振る
原色で塗り潰された朝陽が、カーテンの隙間から射し込んでいた
棺桶のような目覚まし時計を確かめる
四つの針が完全無秩序に時を刻んでいた
ザクザクザクザク。
「早くしないと遅刻しちゃうよ?」
その通りだった
俺は血溜りと羊水と肉塊の中から飛び起きた
血塗れのパジャマを脱ぎ捨てる
カーテンを勢いよく開けば、極彩色の空が滴り落ちていた
風が甘い腐臭を運ぶ
心地好い春の匂いだった
食卓についた
「お兄ちゃん、おはよう」
みんな揃っていた
「母さんは?」
「そこに」
首を吊っていた
今月に入って四度目だ
ぎしぎしと縛り首の立ち木がしなる
ぶらりぶらりと母さんが揺れている
母さんの足下で赤黒い塊が蠢いていた
不完全だった
俺はそれを拾い上げ、四つの皿に均等に分けて美味しくいただいた
よく煮込んだ重油のような味がした
-俺は本を捜しに行かなければならない
「いってきます」
「お兄ちゃん、はい、おべんとう」
妹から鳥かごを受け取って俺は家を出た
げろげろ、げろげろ
親子連れのカエル面の半魚人で賑わう街
露店では、渦巻きの頭を持った昆虫の香具師が大声で客を呼び込んでいた
彼は菌類だった
香具師が俺を呼び止めた
脳味噌が売られていた
「あなたの脳味噌です」
香具師は言った
「この中にあなたの宇宙が納まっているのです。だがあなたと云う存在はこの脳味噌から溢れ出てしまった」
漏れ出した個
全に溶け込む個
個にして全。だが全は個に非ず
断絶された個を失った個
生贄。
「ロード・アイランド病院から持ち出した脳味噌もあります」
香具師はもう一つの脳味噌を取り出した
薄灰色のプリンのようなソレがぷるぷる震えていた
「モルヒネと一緒に如何ですか?」
俺は汽車に乗った
危うく乗り遅れるところだった
走る汽車
窓の外には穏やかな焼け野の光景が広がっている
緑色の雪が降っていた
どろどろと大地が溶けてゆく
大地を失い、線路は捻じ曲がり、汽車は地の底へ下る
暗黒と深淵
汽車は何処までも下り続け、昇り続けた
ようやく汽車は終点に着いた
アナウンスが流れる
「終点-。原始の卵。宇宙卵。無精卵」
汽車を降りるとそこは教会だった
シスターと子供たちが泣いていた
紅い涙を流し、黄色い鼻汁を垂らし、耳から白い汁を滴らせていた
俺は訊ねた
「どうしたのですか?」
シスターが答えた
「神様が孵化しました」
口笛が聴こえる
ホルストの組曲『惑星』
『天王星』の章
シスターが言った
「神子は夜明けに老いて生まれました。黄昏には幼子になって死ぬでしょう」
子供たちが頷いた
「流転。逆転。人造天国。再生楽園。フラスコ」
-俺は本を捜しに行かなければならない
麋爛の街を病みながら歩く
俺は本を捜しに行かなければならない
世界の亡骸。充ちる凄惨な闇黒
俺は本を捜しに行かなければならない
蒼冷めた星。血濡れの空
俺は本を捜しに行かなければならない
吹き抜ける死臭の風
俺は本を捜しに行かなければならない
光と闇を越えて
俺は本を捜しに行かなければならない
完成の膨張、無限の凝縮、断絶の永劫、終焉の連続、束縛の遠大、崩壊の結集、誕生の帰還、麋爛の新生、未踏の過去、既出の未来、虚無の実在、輪廻の直線、統一の混沌、安寧の狂乱、堕胎の受胎、完結の成長、固定の噴出、汚穢の純潔、狂気の秩序、孤独の共鳴、俺は本を-
空白が俺を満たす
音楽が聴こえる
吐き気を催す異形の唄
くぐもった狂おしい太鼓の連打
単調な冒涜的なフルートの音色
何もかもが発狂していた
その狂気に合わせて、ソレは踊る
緩慢に、
ぎこちなく、
愚かしく、
汚らわしく、
時も、
空間も、
想いすら越えた領域で、
世界の中心であり、最果てである領域で、
盲目の不定形、
零知の完全、
煮えたぎる核、
其れは--神?
俺の、タマシイが、砕け、散った
崩れる
崩れ落ちる
何もかも忘れてゆく
砕け、無散し、拡散した、俺は、
俺は、
俺は、
俺は-
-俺は本を捜していた