人生は旅です ①

大好きなところはヨーロッパです。好きな言葉は夢です。ブログは私の心の窓です。

ペルーの謎に包まれた世界遺産 ①

2009-05-10 22:13:26 | 旅行記
以前からペルーへ行きたいと思っていて、でも遠いし長期休暇が取れなくて困っていたところ今年は休みが増えて、しかもGW13日間連休になるので、とっても嬉しかったです「罪」を感じなくてもいいんだもん!親友の友達も行きたいと、一緒に行くことにしましたでも前提は部屋を別にすることペルーにたどり着くまで日本から直行便がないし、20時間以上かかるので貧乏な私は大韓航空の安いビジネスプランを申し込みました友人が「あんな遠いところへ行かれないよ」とその気持ちは分かる気がしますたどり着くまでを思うとゾートするかもしれません遠いかな!ペルーは南米大陸にあって、もちろん南半球にあります。四季がはっきりしないので、雨期と乾季があるらしい国土が南回帰線の内側にあり、熱帯圏に含まれていて、地域によって気候が異なるようですでもいまの時期が一番いいようでペルーにはたくさん大自然が残っていて、ペルーの国旗はこの国の自然と資源を表しているそうです

ペルーの歴史は長く、いまから3000年前から北部山岳地域、現在のワラス付近にチャビン文化が発生それからペルー全国に広がった、その後、モチェやナスカ、チムなどそれぞれ文化が栄えたが、11世紀末、中部アンデス地域にインカ族が姿を現し新たな文化の華を咲かせることになりました当初1部族に過ぎなかった彼らだが、15世紀末ごろにはコロンビアからチリにまたがる大帝国を形成しました首都はクスコを中心に繁栄しました1532年、財宝を目指してやってきたスペイン人の一人フランシスコ・ピサロの奸計にはまり、インカ皇帝アタワルパはカハマルハでつかまり処刑され、インカ帝国は幕を閉じたその後、19世紀初ごろまで、スペインの植民地として、苦しんでいたようです1821年、独立派はスペイン王党派を破り、ペルー共和国として独立しました人種は先住民(インディヘナ)50%未満と先住民とスペイン人の混血40%ぐらい、残りはヨーロッパ系とその他、公用語はスペイン語です宗教の選択は自由で、ローマカトリック95%です。ペルーの紙幣はソル(SOL)です。でもわざわざ両替しなくても米ドルがそのまま使えますペルー料理と言ってもスペイン料理らしい?それも楽しみにいていたのに、出発前、マスコミで豚のインフルエンザが騒がれ始めましたそれは全世界でも話題になっていて、私たちはロサンゼロスで乗り継ぎなのでツアーを中止されたら・・・少し気になっていました状況をよく把握して運命に任せることにしました兄弟から「よく地図を見ましたが、大丈夫かな!気をつけるんだよ」と電話が来たり友人たちは「人混みのところを避け、マスクを持って行ったほうがいいよ」などなど相変わらず、みんなに心配をかけた私旅行社から最終的な案内書が来ました。添乗員の名前が書かれていたのを見ると、よく見かけた名前でした旅行社に問い合わせをしたら、「添乗員はベテランですよ」と。よかったと思いました出発前、添乗員から私の携帯に電話がかかってきましたさすが私の勘が当たり!いつも自宅に留守番電話が何回も入っていて、昼間は家にいるわけないでしょう今回の添乗員は一級のプロだと思いました電話での話しだととっても頼り甲斐のある方だと思いましただって、豚インフルの件もあるし、やはりベテランの添乗員がいれば心強い!最後に添乗員から「今回のツアーではあなたが一番若いよ」と言われあ!またかい!出発日までになんだかんだやることが出来てしまい、忙しかったです連休になる会社が多く、成田まで道が混むかどうか気になっていたけど、少し時間の余裕を持って愛車で成田空港へ向かいました思ったより道が空いていて、成田空港の手前でスピード違反をやったりして、あ!今日は覆面パートカーがいるかなと思いながら、油断してしまいスピード違反現行犯で、捕まりました!ああ!ついてないのか?ついてたのか!毎日運転をしているのに・・・空港で車を引き渡す業者さんから電話が入って「電話をもらったけど、まだ来ない」と。「すみません!すぐ着きます」と。業者さんに車を渡しながら「ごめんなさい!ちょっと覆面パートーカの人と会話をしましたから、遅くなりました」と言うと業者さんがちょっと不思議な顔をしながら、すぐ笑ってくれました。悔しかったけど、これからいいことがあるよう、楽しい旅行ができるよう、すぐ頭からこのことを削除することにしました集合場所で添乗員と初対面で、とっても分かりやすく説明してくれて、最後に添乗員が「あなた!いいお名前ですね、きっといいことがありますよ」と「名前だけじゃないくて・・・」といい返したかった・・・笑・・・だって!真実だもん!それから早速スピード違反の罰金を払い、「破財避災」という諺を思い出しました強運な自分を信じることを再認識しました!搭乗する前にビジネス専用ランウジで軽食を食べましたランウジに韓国の成金のような奥様グループがいました爪楊枝を口で噛みながら、おしゃべりしていました

おにぎりやサンドイッチを出されてすぐなくなりました!ああ!よく食べる奥様たち!私もおにぎりを食べようとスタッフに聞いたら「もう切れました」と。あそうか!次から次へ出すと、大韓航空が潰れるのではないかと同情しました定刻通り、搭乗し、席がかなり空いていて、一人で真ん中の三人席を制覇しました

料理はまあまあで、フランスのボルドワインとブランディーメアリを飲んだり、ケーキやあつあつクッキを出してくれたり韓国の成金の奥様グループたちはいなかったので・・・笑・・・ゆっくり味を味わいながら、機内で寛ぎました

空間的にエコノミクラスと違って、友達に「貧乏じゃなければ、毎回ビジネスクラスに乗りたいね」と話したり

ロサンゼロスまでちょうど9時間かかりました。ロスは思ったより寒く12度でした空港内はテロや豚インフルの対策で、マスクをしていた客が多かったです

乗り継ぎなのに、荷物検査が厳しく、ワンちゃんの姿をよく見かけました。しかも荷物受取所のところでも撮影禁止でしたスーツケースの鍵を閉めないでくださいと言われました。なんだかんだ時間がかかりましたそれからスーツケースを一回受け取って、すぐ預けて、LAN航空のカンウターでロスからリマまでの手続きです。早かったせいか、空いているうちに手続きが完了しました。

豚インフルのことがあるので、すぐにリマ行きのゲートのところで大人しく待機することにしましたなにもしないせいか、かなり冷え込んできて、席と席の間の手摺りが固定で、横になりたかったですアメリカ人かペルー人が地面でそのまま寝ていました。あまり退屈だったし、友達も「もうこれからアメリカには来ないよ」と話しながら、あのセキュリティーの煩わしさはもう嫌だと思いました靴を脱がせたり、ちょっとなにかあると、カバンの中身を全部触られ、使っていたマイボトルは消毒しないと使えないと思いましたペルーまでまだまだなのに、サマタイムで、日本とロスの時差が16時間もあるので、もう体力も気力を失ってしまったようですやっと搭乗時刻が到来!定刻通り飛んでくれました満席!旅行シーズンなので、旅行者が多いかしら?!不況にも関係がないのかしら!チキンご飯が出ました。わりと美味しかったです。

テレビの番組がたくさんあって、でも全部英語でした。友達は寝ずにずっとテレビを見ていました。アメリカとペルーの入国カードや税関申告に記入が必要でしたので、それも慣れない人だったら、かなり面倒なことだと思いましたリマ空港に着いたら、現地のガイド具志堅さんが迎えに来てくれました。

具志堅さんは42年前にペルーのリマに移住したという。深夜なのに空港内でも人がたくさんいましたリマ空港からホテルまで30分ぐらいでした。デラックスリマシェラトンホテルで連泊です

とっても嬉しいことだと思ったら、ホテルに着いたら、さんざん具志堅さんに「朝の散歩などホテルから出ないでください、治安はよくありません、特にホテルの周辺はよくありません」と注意されました五つ星のシェラトンと言っても、部屋のお風呂やエアコンなどだいぶ傷んでました

私はあまりにがっかりしたので、翌日友達に「このシェラトンホテルは例のシェラトンですか?」と聞いてみたら、友達は真面目に「そうよ、あのアメリカで話題になった、逮捕された孫のお爺ちゃんが創立したシェラトンのグループですよ」と。いろんな国のシェラトンに泊まったことがあるけど、こんなに設備が悪いシェラトンは初めてでした移動の一日が長かったでーーーした!お休みなさい!



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