美しき言尽くしてよ

飛騨古川に行きました その4(角川へ)

朝日館を出て、次に政井みねさんのお墓のある専勝寺へ行きました。
専勝寺は古川から少し北にある角川というところにあります。
角川といえば、今は中日ドラゴンズの期待の根尾くんの出身地ですね!
地元名古屋では、根尾くんが調子良くてもわるくてもニュースになっています笑

まず、専勝寺の裏山に着きました。専勝寺をもっと上ったところです。
そこから角川が一望できます。



ここには後藤帯刀重元のお墓がありました。
お墓なので写真は撮っていませんが、後藤帯刀は小鷹利姉小路家の家臣です。
小鷹利はHさんのホームというか、母の母の実家のある村です。

1577年ごろのこと、小鷹利城は代々姉小路家の庶流向氏の居城でしたが、向家出身の姉小路高綱の死後、国府の荒城郷から牛丸重綱が向家の幼君右近の執政となりましたが、横領の計画を進めていました。それを知った後藤帯刀重元は右近を連れて城を脱し、角川付近で追いつかれ牛丸軍と戦い、討死しました。
なんだか今の鎌倉殿のような…



戦いに勝利した牛丸重親は小鷹利城を横領し、戦国土豪の仲間入りをしますが、牛丸氏も父子3代にして家断絶とあります。

この後藤帯刀のお墓をお参りした後、専勝寺にある政井みねさんのお墓へまいりました。

政井みねさんとは、「ああ野麦峠」の主人公になった方です。大竹しのぶさんが演じていらっしゃいましたね。
みねさんは、14歳で岡谷の製糸工場に働きにいきます。


とても美人で、働きも良く模範生だったようです。
しかし、19歳の頃、病に倒れてしまいます。
「ミネビョウキスグヒキトレ」という工場からの電報を受け取った兄の辰次郎は、岡谷まで七つの峠と三十数里の険しい山道を、宿にも泊まらず夜も歩き通して、わずか2日で岡谷の山一林組工場にたどり着いたそうです。
当時、病人を出したなど評判が落ちるのを恐れた工場は十円札を握らせて、すぐに出されたそうです。
辰次郎は松本の病院に入院させるつもりでしたが、みねがどうしても飛騨へ帰りたいと言うので、仕方なく背中に背負って、飛騨に帰ったそうです。そして、5日目の11月20日に、野麦峠にたどり着いたところで「ああ、飛騨が見える」とつぶやき、息を引き取ったそうです。

辰次郎はさらに4日間、みねを背負って角川に向かいますが、既に亡くなっているみねをとめてくれるところはなく、警察署では土間のようなところに藁を敷いて寝かせたりしました。最後に泊まったところが角川出身の人で気の毒に思い、人力車を出してくれたそうです。

みねと辰次郎の墓所がある専勝寺です。



本堂



この裏にお墓はありました。



今でもお参りに来る方が後をたたないそうです。
日蓮上人の像。
専勝寺は真宗なのです。






ここも大銀杏がキラキラと綺麗でした。



金の絨毯


本当にみねさんはかわいそうなことでしたが、みねさんだけでなく、工女さんたちはきっといろいろなことがあったであろうと思います。このように病に倒れた方もたくさんいらっしゃったでしょう、本当にお気の毒であったと思います。
あの頃の日本の一大産業を支えてくださり、本当にありがとうございますという思いです。

私の祖母は行ったところも違いますし、とてもよくしていただいたと思われ、人それぞれいろいろな背景があったのだろうと思いました。






次はカミオカンデに行く予定にしていたそうですが、おばたちはこの後、そのまま帰るので、もうそろそろタイムリミットになり、カミオカンデは取りやめになりました。
子どもが小さい頃、行ったことはありますけど、もうすっかり忘れてしまいましたね。

ここで皆さんと分かれて、私たちは今晩泊まる新平湯温泉へと向かいました。

Hさん、ありがとうございました。

続きます。






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