「まれ」についてはいろんな人たちが文句を書いているのである程度は割愛するとして、個人的に気になったところだけ書いておく。
この作品で一番気になる(気に入らない?)ところは、何かを決断する場面において、それが他人のお膳立てや他人の都合で成立することが多く、ひろいんが自分でリスクをとって決断できていないということである。
言わば、誰かがやれっつーからやることにした、誰かが困っているから辞めることにした、みたいなのが多い。
夢嫌いで最初に市役所に勤めたのも、夢ばかりみて自己破産や夜逃げに陥り家族に迷惑をかけてばかりの父親と逆の生き方をしたかったからだし、その公務員を半年程度で辞めて製菓店で修行をすることにしたのも世界的パティシエの婆ちゃんにプッシュされたから。最初、市役所の給料は実家に入れていたようだが、そのためか貯金はロクに出来なかったと見える。だから、製菓学校にも行けなかった。そこは親を説得して学校に行けなかったのかなと思う。
修行中の身で付き合い始めたばかりの圭太と遠距離結婚したのも圭太が見切り発車で結婚の話を進めようとしたから。その後、能登に戻って女将になりますとか言い出したのも倒れた親方の代わりを務めるという無理ゲーの末、圭太まで倒れちゃったから。そして、そのままズルズルとパティシエは辞めたままになっていたのを再開したのは、知り合いが店を譲ってくれることになったから。
それでも店の経営なんて無理と躊躇するもやっぱり店やりますとなったのはドリーマーの父親が企画書や事業計画書まで描いて娘に自分の夢を託しつつ失踪したから。その店も農協に資金を借りるところは自力で頑張ったが、何故かケーキ屋なのに午前中だけ営業して午後は女将の仕事をするという無計画さ。これもまれにしてみたら、女将の仕事も好きでどうしても辞めたくないからというよりは、女将がいないと塗師屋の家業は成り立たない(と先代は言い張っている)から。
お店が何とか軌道に乗りかけたところで妊娠発覚。確かに避妊していても子どもはできるときはできるのかもしれない。ただし、そもそも、避妊をしていたかどうかも怪しい。まぁ、授かり物だしできちゃったからという感じではなかろうか。自分の意思でバースコントロールしていたけどできちゃった風には見えない。100%の避妊方法はないにしても、それに近いことは出来るはずであるから。
その子どもというのが双子でハイリスク。そこら辺は「幸せが2倍」という圭太のお気楽宣言で帳消しになり、つわりの話もなく妊娠発覚からロクに産休もとらずにいきなり臨月。かと思えば自然分娩でポン、ポンと産まれる。そりゃ、多胎でハードワークでもモーマンタイで経膣分娩で産まれることだってあるだろうけどさー。
そして、産まれてすぐに双子の片割れが熱を出して、役立たずの亭主がオロオロして、仕事中の妻に電話。まれは大事な得意先から頼まれた仕事を誰かに引き継ぐわけでもなく、仕事をおっぽりだして病院に駆けつけるというドタバタがあり、育児と仕事の両立に悩みつつも、塗師屋のメンバーが赤子たちの面倒をみますというところでこの両立問題はあっさり解決。いきなり、双子は小学生に成長していると。
ここまでまれが自分で動いて家族や有料の託児サービスを頼みに行く形跡はなし。あくまでも、育児も店も女将の仕事も自分一人でやらねばと抱え、無理なスケジュールで動いた挙句、結局、周りが助けてくれて魔法のように上手くまわっちゃう。。そういう展開だ。
この女将の仕事も双子が就学児になって手がかからなくなったことなどを理由に辞めて、パティシエのコンクールに専念することができるようになったが、これもまれが自分で根回ししたのではなく、圭太から申し出があったから。そのコンクールを目指すきっかけも、娘の「世界一にはいつなるの?」という問いかけから。本人はあくまでも、いやいや、私なんてそんな器じゃないですし。のスタンスで、結局、周りのやれやれで弟子が勝手に応募しちゃったの〜というノリでコンテストに応募。
まるで、周りが店やれっつーからやりました。できちゃったから双子産みました。辞めていいっつーから女将やめて、みんなが勧めるから世界一のパティシエを目指しましたって言っているように見える。
これらの展開の後、とってつけたように努力するシーンが出てきたりするが、体育会系よろしく、徹夜づけの一発勝負みたいな短期集中で修行に専念するのもあざとさを感じる。
あくまでも作者の中でもまれ像は、家庭が第一の人だけど、天才的な味覚と一夜漬けみたいな短期間での努力だけで、一流パティシエと良妻賢母を両方成り立たせているスーパーウーマンである。しかし、そこに至るまでの過程がすっ飛ばされたまま、客の注文は投げ出すわ、商品売らないとか言い出すわ、コンテストも娘の相撲大会のためにすっぽかすわで、まるで成長がない。
まれの成長しない感じは、地道にコツコツの夢嫌いは、実は熱い心を持ったドリーマーで、昔から志は変わらないし、ブレない。夢に向かって真っしぐらな女性だというところで勝手に消化されているように見えるが、自分で取捨選択して行動している場面が少ない(せいぜい、マシェリシュシュで修行させてくれと頼みに行くところくらいか?)のと、ピンチの場面で人に何かをお願いしたり、苦労して乗り越えたりという描写が少ないので、どうしても受け身の女性が行き当たりばっかりで中途半端に夢を追って、でも、何となく周りのお膳立てで上手くいっちゃったことで成長しなくても良かったことになってしまう。
「あまちゃん」も海女になったりアイドルになったり海女に戻って地元の復興に一役買ったりと、(母親の春子曰く)自分勝手で全部中途半端で成長している風には描かれないが、人から言われたからではなく、最終的には自分で決断して行動している。それから、成長に関しては自分ではっきりと、成長ばかり追い求めるのとは違う今の自分の生き方の良さを認めている。というわけで意外と?ブレがない。何といっても「あまちゃん」の場合、ヒロインは当初からそんなに年をとらない設定だから、そんなに短期間でバーンと変わる必要があるわけでもない。そこはとっても等身大に描かれていると思う。
あと、「あまちゃん」の場合、アキだけではなく他の登場人物も、「まれ」に出てくる、仕事を途中で投げ出す能登の人達(とりわけ、まれ本人)と違って、そこまで無責任で変な行動がない。アキは夏ばっぱが倒れてもオーディションは投げ出さないし、嫌で嫌で躊躇した前髪クネ男とのキスシーンも(結局なくなったけど)、現場に現れた寿司屋の彼氏を追い払ってでもやろうとしていた。
というところで、まれの制作サイドはあれだけ「あまちゃん」を意識した設定にしておきながら、あまちゃんの中の何を見ていたんだろうと疑問。
まぁ、やっぱり一言でいうと、
「ごちゃごちゃといろんな要素を詰め込み過ぎて消化できていない」
というところなんだろうな。
詰め込み過ぎイコール破綻するとは限らない。韓流ドラマファンでもなくヨン様も好みじゃない私ですらハマった冬ソナは、昼ドラ的な要素てんこ盛りで奇想天外なストーリーでご都合主義な展開だったが、 それでもシナリオが破綻していなくて何度観ても面白いし、最後まで美しいドラマだった。
まれとよく比較される「あまちゃん」だって同じ。アキはコロコロコロコロやりたいことが変わって、母親の春子に「やりたい放題」「そのくせ、何もかも中途半端」のようなセリフで叱責されるが破綻なく、素直に展開を受け入れられる。
出産育児でキャリアを余儀なく中断させられることが多い女性にとって、競争の厳しい世界で第一線でい続けることは困難である。だから、育児を経て再び世界を目指すヒロインの生き方というのは何処かでワーキングウーマンに希望を与える内容であって欲しい。
だが、このヒロインの家庭と仕事の維持の仕方は特殊な部類だと思う。何せ、産休を3ヶ月にせざるを得なかったから故なのか、復帰後の預け先についての考えがまるでない。
輪島市周辺の保活事情は知らないのだけど、都会のような待機児童問題はなさそうに見える。午前中だけなら公立保育園で一時保育という手段は考えなかったのだろうか。もしくは、出産を機に専業主婦になるって言っていた義理の妹で友達のみのりに頼んでも良さそうなものだと思う。ここら辺は母も友達も敢えて関わらないスタンスなので2人がとっても冷たく見えてしまう。あと、近所の面々も。。
安易に周りに助けてもらうようではヒロインに困難がなさすぎる!とでも思ったのかぁ。。制作者の方々。でも、保育園にもシッターにも家族にも預けないで店やるって、子供の世話についてはどうするつもりだったの?って感じだし、結局は塗師屋の人たちに助けてもらうわけで、単なる自業自得で、困難にメゲズに頑張るヒロインでも何でもないと思う。
子供が熱出しちゃってあんなに苦悩するのも何だかなぁと。そりゃ、あの月齢で高熱出したら確かに心配だし、側にいられなかったことに後悔はするだろうけど、父親がついていながらオロオロ嫁に電話までしちゃって、姑にはまるで自分のせいで熱出したかのように責められるわ、実母は助けてくれる様子はないわで、何だかねと。そういう孤独な育児をするワーママを表現したいならこういう話もわかるけど、周りはみんな(天敵の姑でさえ)”いい人”で、頑張るという話なら、実母や義理母、ご近所の人達の助けも必要だと思う。
そして、乳児の世話に追われていたと思ったら、いきなり6年後にワープ。育児が落ち着いて店も軌道に乗ったという話になっているが、所謂、小一の壁はなかったのかな。
パティシエの世界のことは詳しくないのだけど、女性のパティシエというのは少ないという印象。お料理研究家としてマスコミに出たり、店を輪島辺りに何件か経営したりっていうのならそれなりに「上がり」だと思うのだけど、ここではあくまでも師匠の池端シェフ(というか、監修の辻口シェフ)みたいにフランスの権威のあるコンクールで優勝するっていう筋書きが最終ゴールみたいになっている。
「やりたいお菓子と現実」について、どういうお菓子を目指しているのかという答えが出ないまま、コンビニスイーツに負けたり、センスがないと言われたりして、第一線からは退いたヒロイン。結局、子供がいて、店を持って好きなことが出来て、悪くない展開。ドラマとしてはそこで終わっては欲しくないところだが。。しかし、アンチテーゼとして登場する池端シェフ、祖母の幸枝、先輩の陶子は家庭を犠牲にしてキャリアを形成した、ワークライフバランスを目指す女性には正反対の生き方。
それならば、自分なりの方法でキャリアを諦めずに家庭を維持する方法があると思うのだけど、そこをどう描いていくのかなと思う。ある程度は家庭は放ったらかしになったり、家庭を人任せにせざるを得なくなると思う。こういうときにいちいちヒロインに苦悩させていくつもりなのかな。
そりゃ、悩みはあるかもしれないけど、親の背中を見せて理解させるやり方もあるかもしれないし、それよりも自分の決断にいちいち迷うという展開でダラダラ話を続けると、視聴者はイライラするだけだと思う。こんな厳しい世界で生き残っていかないといけないのだから、迷わず突き進んで欲しいと思う。