妻です。母です。尼僧です。

尼僧の恵龍と申します。ごく普通の家の奥さんが僧侶になりました。僧侶の目から見た日々あれこれ。思いつくまま。

瞑想(阿息観)の日

2015-11-30 | 日記


恵龍です!

今日も来てくださってありがとうございます!

今日は、お寺で阿息観の日でした。

阿息観(あそくかん=座禅の一種。肩叩いたりということはしません。阿字観のウォーミングアップです。)を、
私が初めてしたのは、もう六年ほど前のこと。

その頃の私は、毎日毎日、イライラしていました。

いわゆる情緒不安定の状態で、心療内科にも通院していました。

なんでもいい、何か、心を落ち着かせることがしたい、という思いから
いろいろなことを試していました。

お寺通いもその一つでした。

お寺でなにかの行事があれぱ、その内容が何かもよくわからずに
とりあえず参加していました。

その一つが、阿息観でした。

阿息観は、誰でも気軽に参加出来る
とても初心者向けのもので
特に決まり事もありません。

正座が苦手なら楽な姿勢で行います。

長く座っていられる姿勢でよいのです。

眠ってしまっても構いません。

お坊さんがウロウロして、肩を叩く、ということもありません。

障子を閉めて、目を半分だけ開けた状態で、呼吸だけに意識を向けて
座っているだけです。

障子越しに聞こえる鳥の声、風の音、木の葉のささやく音、自分の呼吸、それがすごくリラックス出来る
素敵な時間です。

大体15分から30分くらい。

日本のヨガとも言われていて、終わった後、すごくリラックス出来ます。

私が通っているお寺では、週に一回
阿息観があります。

私は今でも通い続けています。

座っているのが苦痛なら、イスでも良いのです。

大事なのは、ゆっくり息を吐く。

細く長く。全細胞から出てしまうように。

そして、ゆっくり息を吸う。

鼻から、お腹が出るくらいまで。

ただ、それだけなんです。

私達は、ぼーっとして、何も考えていない状態でいるというのは
一日のうち、あまりありませんね。

いつも何かを考えて、心がザワザワしている。

結果、やっていることが雑になりがちです。

思考をストップさせて、まず落ち着く。
そうすると、自分が何をするのがいいのか、優先順位もハッキリしてきます。

だから、お寺でのこの時間は
心をリセットできる私の大切な時間です。

出来れば、近くのお寺で是非参加されてみてください。

お近くにあるといいですね!

もしなければ、ご紹介しますのでコメントくださいね。

今日もスッキリとした心を取り戻すことが出来ました。

ありがたいです。


それではまた!

私達はトイレの神様

2015-11-29 | 日記
恵龍です!

今日も来てくれてありがとうございます。

トイレには神様がおるんやで~♪という歌がありましたが、

今日は、そのトイレの神様のお祀りされている お寺さんにお参りして来ました。



凄い人いっぱいでしょ。

今日は、年に一回の大根炊きの日でしたので
とても賑やかでした。



烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)

「この世の一切の汚れを焼き尽くす」

「烈火で不浄を清浄と化す」

「心の浄化はもとより日々の生活のあらゆる現実的な不浄を清める功徳がある」

「人間の心の内にある、邪鬼を調伏する」

などなどの、要は
汚いものを綺麗にしてしまう、という功徳があるとされる火の神様です。

ですが、特に有名な功徳としては、先ほどと書いた通りトイレのお清めなのです。

何故かというと、トイレは、古くから「怨霊や悪魔の出入口」と考える思想があったのですね。

なので、現実的に不潔な場所であり怨霊の侵入箇所でもあったトイレを、
烏枢沙摩明王の炎の功徳によって清浄な場所に変える、という信仰が広まり
今に伝わってるということです。

汚い所を綺麗にする、なんて
ホントに主婦の鏡みたいな明王様ですね!

ていうか、私達も、掃除をちゃんとできれば
役割としては、明王様と変わりないのではないのじゃないかしら?

ていうことは、私達も、トイレの神様になれる?のかな

などと思いつつ



弘法堂もありましたので、御参りさせてもらいました。

わりと近所なんですが、数回しか来てないです。
またご縁があれば来させて頂きたいな。


以下、Wikipediaよりコピペ

ある時、インドラ(帝釈天)は
仏が糞の臭気に弱いと知り、
仏を糞の山で築いた城に閉じ込めてしまった。
そこに烏枢沙摩が駆けつけると、大量の糞を自ら喰らい尽くし、
仏を助け出してみせた。
この功績により烏枢沙摩は厠の守護者とされるようになったという。

きゃー(`〇ω〇)きゃー

ここの部分は初めて知りました!
びっくり!

仏様のために、そこまで…

スゴいですね。負けましたねえ!笑



それではまた。


仏様が来たっ!

2015-11-27 | 日記


恵龍です!

今日も来てくれてありがとうございます!

今日は、とても凄いことがありました。


今日もいつものように、玄関周りを掃除しました。

毎日少しずつしてきたかいがあって随分スッキリできました。

なので、庭から畑へと範囲を広げてみました。

(どれだけ広いかと思われているかもしれませんが、そんなにメチャクチャ広くはないです。)

ひっつきぼぼ(服にくっつく雑草、こちらではそう呼びます。)が、服のあちこちに着きます。

枯葉の溜まり具合もスゴいです。

なんとか頑張って、道らしきものが出てきました!笑

縁側から庭に続いている所までサッパリしました。

今日はすごく寒かったのに、汗ばみました。

あんまり嬉しくなったので、お花も買ってきて玄関周りに置きました。

家が輝いて見えました。

家が緑に埋もれていません。

もう、庭木と、林との堺がちゃんとわかります。笑

良かった!


さて、話はここからです。

いつもの通り、夕勤(ゆうごん=夕方に仏様に読経をするお勤めのこと。朝もあります。朝勤=あさごん、といいます。)をしていると、

いらした、いらした。

仏様が来ました。

私には、霊感とか言うものはありません。

じゃあ、どうして分かるの?と聞かれるかも知れないですね。

仏様、というか、違う宗派で表現するのなら
神様、とか、
スピリチュアルで言うならエンジェルとか、
風水で言うなら 気、とかになるのでしょうか。

そういう、空気が変わるくらいはわかります。

読経する私の声が、読み進めるうちに
響きが変化していきます。

そして、なんとも清々しい空気に変わりました。

光もすずやかなものに変わります。

あー、お掃除して良かった!
やっと気持ち良く仏様がいらしてくださった、と感動しました。

で、ここまでなら、
あー、自己満足ね、って感じなのですが、
面白いのはここからです。

その直後、仕事から帰って来た主人が(主人は、坊主でもなんでもない、普通のお務め人です。)

「うちの周りが、すっごく綺麗なんだけど!なんか全然違うんだけど!」と、
少し興奮気味です。

「うん。掃除したからね。」と私。

「でもね、帰り道、近道して来たらサイドミラーを壊して来ちゃった!」と、残念そうに言うのです。

仏様がいらして、そんな事があるわけない、と思った私は主人に言いました。

「サイドミラー、きっと外れただけで、何処かに落ちていると思うから、見てきてみたら?」と。

主人は、絶対 大破してバラバラになってるから、そんなわけないと言いながら
渋々、私に言われるままに外に出ていきました。

その数分後、なんと、

「サイドミラー、落ちてたよ!もう治っちゃった!まるで何事も無かったみたい!」と、嬉しそうに戻って来ました。

「ほらねー。」と、私。


なんだかね、そんな気がしたのです。

仏様がいらしたなら、何かしらの形で、現されるような、そんな感じです。


お掃除ね、とても大事ですね。

たかが掃除。されど掃除。

明日からも毎日お掃除続けていきます。

お掃除させて貰えてありがたいです。

感謝です。


それではまた!


ダメダメ母さん

2015-11-26 | 日記


恵龍です!

今日も来てくださってありがとうございます!

今日は寒かったです。

体調崩されていませんか?

私は、毎年 冬になると
鼻水が止まらなくなります。笑

鼻をかんでばかりいるので、鼻の下が真っ赤になっちゃいます。

カッコ悪ーい。

これは父からの遺伝なので、まあ仕方ないかな、と思って毎年なんとなくやり過ごしています。

親の背中を見て子供は育つと言いますが
よく言った言葉だと思います。

親が毎年 鼻水を垂らしていた姿を見ているので
私も冬はそんなもんだ、となんとなく受け止められます。

でも、もし私が父のそんな姿を見ていなかったとしたら、
どうして私はこんなに鼻水が出るんだろう?
私は病気じゃないかしら?

なんて、慌てるかもしれません。

父のおかげで、私はポジティブに冬を過ごすことが出来ます。

お父さん、ありがとう。笑

親の存在というのは有難いもので、
何も言わなかったとしても
何かしらの形で子供に沢山の情報が伝達されますね。

うちの子供も
私がダメダメな母親なので、
もう何も説明しなくても
あー、母さんだから仕方ないね、と
言ってくれています。

多少 おうちの中が散らかっていても、
多少 ビデオレンタルの返すのが延滞されても、
多少 たまーに機嫌が斜めになっていても、
うちの子供は平気でいてくれています。

ありがとう、みんな。笑

そんな風にね、言葉以外のことで繋がっていることって
結構あると思うのです。

何も立派な会話をしなくても
子供はちゃんと育つ!笑

親子の会話がなくて悩んでいるお母さん、お父さん。
会話なんて、なくてもいいんですよ。
子供はちゃんとわかってるから。

ただね、一緒になんとなくぼーっとしている時間があればいい。

お茶でものんで
どうでもいいことだけ話せたら
それで充分だと
私は思っています。

一緒に居れることが何より幸せ。

お母さん、お坊さんでしよ?と、
うちの家族は誰も言いません。

たぶん、坊主である前に
夫や子供にとっては
私は妻であり、母親であるのだと思います。

私もそれでいいと思っています。

なんだか、妻も母親もお坊さんも、
全部出来るから
幸せなことだと思っています。

有難いことです。

みんなありがとう!笑

そんなわけで、今日はダメダメな私の暴露日記でした。

また 良かったら覗いてくださいね!

お体 お大切に。

それではまた。


兄弟弟子と勉強会!

2015-11-25 | 日記


恵龍です!

今日も来て下さってありがとうございます!

今日は、兄弟弟子と2人でランチ&勉強会をしました。

坊主同士、久しぶりに直接お寺以外のところで逢って
近況報告や、行や作法についての話なんかをいろいろします。

坊主の世界って、実は案外狭い社会で
師匠と弟子とか、
兄弟弟子とか、同じ学校の同期、とか
結構 濃くて強い繋がり方をします。

この前の女子会の日記では、
あんまり深い会話はしないよって書いたんですが
坊主同士は別。

ここでは、今さら誰にも聞けない疑問や、行者としての心構え、作法などの、
あまり外には出せない話の部分の話なんかをしたりします。

ここで話したことは勿論、口外しません。

お互いに、それはこうした方がいいんじゃないの?とか、
それは習い(ならい=宗派による取り決め)にはないからやめた方がいいよ、など
坊主同士ならではの、
表に出せない会話になります。

一般の方にとってはどうでもい話かも知れませんが、
私達 坊主にとっては、行や法要は、
仏様と僧侶の間できちんと決められた約束事なので、一つも間違えないように務めなければならないのです。

なので、たまにこうして直接逢って
あーでもない、こーでもないって会話するのは
すごく大事なんですね。

私達 僧侶は、人様のお役に立つために存在しています。

なので、近況も報告しあって、
今 誰々(私)はこの位の段階に居て、こんな事が出来ます、この位のことをさせて頂けます、と連絡し合う事で
いざ何かお寺で動きがあった時に
じゃあ、誰々が使えるよ、というように繋がっていくわけです。

勉強会も、お互い俗世に慣れて
忘れがちになる仏道の心を取り戻し合います。
とっても大切なんです。

坊主達はみんなそれぞれ定期的に、形は違えどもいろいろな形で集まっていると思います。

そして、終わってから思うのです。

ああ、もっと仏道に励まないと!
まだまだ修行が足りない!と。

そんなわけで、私も今
もっともっと精進して、
もっともっと仏様に使って頂けるようにならねば!と
思っています。

仏様はちゃんとお一人 お一人を見てご覧になります。
そして、ちゃんと御守り下さいます。大丈夫ですよ。

それでは、また!